一章§08

いつの間にか街灯はなくなり、辺りは本当の闇に包まれた。
だがユリアにとってそれは、なんの支障にもならなかった。
目的の場所は分かっていた。
そこへの道は、ユリアの頭の中にはっきりと描き出されている。
近付けば近付く程に、大きくなるマサトの声。
間違いなく、ユリアはそこへ向かっていることを確信できた。


闇。闇。闇。

絶えることなく続く漆黒。
その中に、ぽつん、と橙色の何かが見えた。
目を凝らして見ると、それが家の明かりだと気付く。
ユリアは一度立ち止まる。
耳を澄ますと、マサトの声はそこから聞こえて来る。
再び進み出したユリアは、早歩きになっていた。
とにかく、早く会いたかった。
その一心で、ユリアは進み続ける。

橙色の小さな丸が、大きな光になる程に近付いた時、ユリアはほぅっと長い息を吐いた。
立ち止まり、目の前に現れた建物を見上げる。
小さな明かりは、この建物の玄関灯だったようだ。
それによって、闇に浮き彫りにされた建物は、重々しい雰囲気を醸し出していた。
もう何百年も昔からそこにあったような、威圧感さえある。
…暫くユリアは眺めた後、視線を再び前へ。
扉にはめ込まれた擦り硝子越しでは、中の様子は確認できなかった。

「マサト…いるの?」

ユリアはそっと呼びかける。
ここへ来るまで聞こえていた少年の声は、この建物が見えたら消えてしまったのだ。
目指していた場所とは、違ったのだろうか?
少なからず不安が、心の中でその密度を増していく。
だがそれも、次に耳朶を打ったそれで掻き消えた。

「ユリア……?」
「!マサト…!!」

ぱっと光が射したように、ユリアの心の内は急に温かくなった。
やはり間違っていなかった。
マサトは、この向こうにいるのだ。
どうして、とか。なんで、とか。
そんな疑問は浮かばなかった。
ユリアはノブに手をかけると、一気に扉を開けた。

「マサト、大丈夫!?」
「ユリア!」

扉を開けたその先、ユリアの探し人が立っていた。
薄暗闇の中、ぼんやりした明かりに浮かぶ、見慣れたシルエット。
その姿を認識した途端、ユリアは今まで堪えていた何かが弾けた。
唇を戦慄かせ、背の高い彼を睨むと。

「馬鹿!心配したんだから…馬鹿!馬鹿!!」
「なっ…お前、馬鹿馬鹿連呼すんなよ」

呆れたようにマサトは笑って、今にも泣きそうな少女の顔を覗き込んだ。

「全く…心配したのはこっちだって」
「うるさいなぁ…でも、生きてて…良かっ…」

そこから先は言葉にならなかった。
マサトがユリアの体を抱きすくめたからだ。
ユリアはその優しさに心を安らがせ…られは、しなかった。
はっとして顔を上げ、マサトを凝視する。

「ん?どうしたユリア?俺に惚れた?」

そのどこか意地悪な笑顔も、からかったような口調も、楽しそうな眼差しも。
何一つ変わらないのに、何処までもマサトに変わりないのに。

「マ、サト…」
「何だよ?」
「なんで…?なんで、こんな……冷たい、の?」

体に回された腕も、密着した体も。

氷のように、冷たかった。

「………………」
「ち、違うよ、ね?わ、私の体が冷たいから…あれ、でも…」
「──ユリア」

名を呼ぶ声は、低く闇を揺るがした。
びくん、とユリアは震えた。
次いで、勇気を振り絞りマサトの体を突き飛ばした。
突き飛ばしたつもりだったが、相手はびくともせず、ユリアの方が床へと倒れ込んだ。

「痛っ…」

起き上がり、強い視線を感じてその先を辿れば、三日月の形に歪んだ口元が動いた。

「何言い出すかと思えば…さっきあんな怖い目に遭ったせいで、混乱してるんだろ?でももうあの魔法使いはいないし…」
「……マサト、変だよ…」
「え?」

ユリアは俯き、そしてそのまま震える声で呟いた。

「あの時マサト…気絶してたのに、なんで知ってるの…」

そう。
あのレストランで見たマサトは、気絶していたのだ。
ユリアとサンのやり取りなど、知るはずがない。

気まずい空気の流れる中、マサトは目を細めた。

──闇に、紅く輝く瞳を。

一章§09

紅い瞳のマサトは、一歩ユリアへ向かって踏み出した。

「!?」

ユリアは目を見開き、床に座り込んだまま後退りをする。
マサトはその様を見て、くすくす笑いだした。

「そう、そうだったな…俺は“私”に気絶させられてたんだった……」
「……貴方、は…」

少し掠れた声で、聞こえないくらい小さな声で、ユリアは言葉を吐き出した。
続きの言葉は、もう用意されている。
だが頭の中では、それを言うことを拒絶している。
それを言えば、取り返しのつかないことになる。
いや、本当は、既にそのラインまで来ている。
だが、何も気付かないフリをしていれば、今ならまだ引き返せる位置にいる。
もしあと一歩でも踏み込めば、自ら命を捨てるようなもの。
少女は堅く口を閉ざし、じりじりと更に下がる。

「…俺が、何?」

だが少年には、きちんとその言葉が聞こえたようだ。
マサトの顔が、ユリアに笑いかけ近付いてくる。
頭の中で警鐘が、甲高い音で鳴り出す。
心臓がばくばくと脈打ち、血液が異常な速さで、逆流しているような感覚。
乾いた唇から、浅い呼吸を何度も繰り返す。
自分でも分かるくらい、ユリアは追い詰められていた。

(言いたくない言いたくない言いたくない言いたくない…!!)

目を強く閉じて、何でもない、と首を左右に振る。

「ユリア、」
(嫌!!マサトの声で呼ばないで!)

更に耳をも塞いで、目前に迫る少年を拒絶する。
どっどっど、と鼓動が大きく聞こえる。

そして──



「俺は“マサト”だよ?」



腕を、温度のない手できつく掴まれた、瞬間。
驚きと恐怖で、ユリアは思わず目を開けてしまい──冷たい紅の瞳と、視線が絡まった。

「いやあああああ!!!違う!違う違う違う違う違う!貴方はマサトなんかじゃない!貴方は、貴方は…!!」

絶叫の後、ユリアは少年を否定した。
すると少年は、マサトだった少年は、声を立てて笑った。

「ふ、はははははは…やっと言ったね、神谷ユリア?」
「!」

その呼び方は覚えがあった。
そしてユリアは、その人物を知っている。
名前を呼ばれる前から、あの瞳を見た時から気付いていた。

「あ……」
「初めまして、ではないね、神谷ユリア。だが名を名乗るのは今回が初めてだ…」

少年はユリアから手を離すと、急に顔を引き締めて、胸に手を当てて一礼をする。
次に顔を上げたときには、少年らしくない貼り付けたような笑みがあった。

「“私”は魔法使いの影に棲み、闇に紛れるもの…そして、君を魔法使いに代わり裁くもの…名はないが、こう呼ばれている」

一呼吸置けば、ゆっくりとこう告げた。

「私は“儀式屋”だ」
「儀式…屋……?」

聞き慣れぬ言葉に、ユリアは問い返した。
儀式屋は鷹揚に頷いてみせる。

「儀式屋とは、通常はこの店を指す名だ」

しかし、と固まったままのユリアを見つめながら。

「君は、魔法使いの都市伝説を知っているようだが…どんな内容か、覚えているかね」
「…魔法使いを呼んで願いを叶えて貰って…その代わりに魔法使いの要求に答えて…契約を違反したら、魔法使いの怒りに触れる…」
「では、魔法使いを怒らせたらどうなるのかな」
「……………え?」

儀式屋の言葉に、ユリアは疑問符を投げかけた。
怒らせたら、どうなる?
ユリアは思いだそうとするが…一向に、思い出せない。
というより、そもそもその先など知らない。

「…教えてあげよう」

ぞっとするほど低い声音で、耳元で囁く。

「魔法使いは影に命令する。罰を与えろと。そして契約違反者は罰を与えられるのだよ──この私に、ね」
「!」
「それが私のもう一つの顔であり、本当の姿だ」

ユリアは完全に恐怖に打ち震えた。
無理もない、魔法使いにより命令され、自分に罰を与えに来たものが側にいるのだ。

儀式屋は口元に手をやり、可笑しそうに嗤った。
その姿は、もう何処にもマサトの面影を残していなかった。
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