今日はちょっと真面目な話。
まず、最初に言っておきますが私は今回の原発事故において、自主避難をされた方を非難するつもりはまったくありません。
あの大混乱の中、多くの方は家族、子どもの安全を考え苦しい中、福島を離れる選択をされたのだろうと思うからです。
こういう記事もあります。
悩んで、考えて、それぞれの中で一番正しいと思った選択であったと思うので、残った人、避難した人、その当時の判断はどちらも確かに「正しい」のです。
http://ironna.jp/article/2957
ただ、私はとある自主避難者の方の記事を見て思いました。
無償住宅打ち切りの記事です。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201612/CK2016120502000123.html
「避難をして間違ってないと思ってきたが、福島に来ると切なくなる」
どうして?
間違っていないと自分が信じるならそれでいいではないですか?
福島に来てなぜ切なくなるのでしょう?
皆が普通に、幸せに生活しているから?
私は避難している方がどんな生活をされていても構いませんよ。
幸せでいて欲しいとさえ思います。
今の毎日が概ね楽しく、幸せですから。
ご自分は幸せではないのでしょうか?
福島の皆が幸せに暮らしている事を喜べない程に。
来年3月に自主避難の無償住宅、家賃負担が打ち切られます。
それに異議の声をあげておられる方もいるようですが…。
震災と原発事故から間もなく6年。
戻るか、残るか。
決断をするには十分な時間であったのではないでしょうか?
例えば東京などで家族で1LDKを借りて家賃12万円。
パートなどでご夫婦で働いたとして25〜6万円。
生活費で一番かかる家賃の分を半分貯金したとして6万円。
都会の物価は物価は解りませんが、生活費20万でのやりくりはお子さんがいたとしても不可能な話ではないと思います。
1年で72万円。5年で360万円 貯金ができれば福島に戻るにしても、新しい土地で何かを始めるにしても元手に成りえるかと。
慣れない土地での苦労を知らない机上の空論ではありますが、それでも私は「自分で選んで避難した」のならいつまでも「避難者」でいてはいけないと思います。
避難の権利はあってもいい。
でもいつまでも「避難」し続けては「復興」することはできませんから。
避難した先にあるのは「幸せ」だとは限りません。
それは勿論、福島に残っても同じではありますが、例えば最近話題になっている福島から自主避難した子どもへのいじめ問題のように(この件については後でまたゆっくり)避難したことで避難しなかった時とは違う苦難を味わうことも有りえます。
でも、それはどんな場所でも同じこと。
絶対の幸福の約束はなく、絶対の不幸の未来も決まってはいない。
だからこそ、人間は自分が生きると決めた場所で、前向きに生きて行かなければならないと思うのです。
震災から6年目も間もなく終わります。
避難した土地に根を下ろして生きるか。
福島に戻るか。
決断の時が迫られているのではないでしょうか?
…明日は外出の為、更新をお休みします。
スマホで確認はしているのでお返事、トラブル対処は致しますので。