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どこかで線を引かないと

少し真面目な話です。
この15日から16日にかけていくつか原発関連で話題がありました。
一つは福島第1原発事故の自主避難者への仮設住宅提供を2017年3月で終了すると福島県が決めた事。
もう一つは南相馬市から仙台市へ避難した10代の姉妹が15日までに、転校先で放射能汚染をめぐって差別されたとして、東電に計400万円の慰謝料を求め、政府の原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に和解の仲介を申し立てた。というニュース。
そして、もう一つは栃木県那須地域3市町に住んでいた計7128人の住民が、原子力損害で福島県の自主的避難等対象区域に認められたのと同等の賠償を求めて上記ADRに和解をの仲裁を申し立てたというニュースです。

私は東電の弁護をするつもりは一切、ありません。
頑張って欲しいと思います。
でも、二つのADRの和解申し立ては多分、認められない気がします。

もし、これを認めてしまったら例えば福島県内でも賠償が認められなかった会津地域。
30km圏内とほんの数メートルの差で賠償が分断された田村や南相馬などでもまた問題が起きてくるでしょう。
差別だってそう。
自主避難先で差別を受けた
大きな声を上げた人だけが聞いて貰えて、声の上げられない人は泣き寝入り。
そんなのもまた不公平な気がするのです。

今、福島の人たちの多くは、東電など当てにしていません。
震災からまもなく5年。
失ったものは多いけれど、そこから前向きにできる限りのことをして故郷と未来を取り戻そうと頑張っています。
それが、東電をつけあがらせている気がしないでもないですが、いつ来るか解らない賠償などに頼るよりは自分の生きる場所、生きる方向を見定めて未来の為に頑張る方が建設的だと思うのです。

放射能が不安だという考えを否定するつもりはありません。
でも避難先で新しい人生を始めるか。
それとも故郷に戻るか。
自主避難者もそろそろ選択すべきのように思います。
いつまでも自分を「避難者」にするのはどうなのでしょうか?

勿論、家族、故郷を失った方々の思いや帰還したくてもできない苦しさなどを私などが想像することもできませんが、でも、どこかで線を引かないとかえっていつまでも前に進めないような気がします。

あくまで私個人の一意見ですが…。
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