張り詰めた空気が破られたのは、ボンネットの上から相手が飛び退き、着地した瞬間だった。
サムはフロントガラスが割れるのも構わずに一発、更に更にと全弾を撃ち込んだ。
特別な加工が施された弾で、標的を確実に射抜くのだ。

だが──

(……何故!?)

どういう訳か、相手には確かに当たったはずなのに、少しもダメージを受けたようには見受けられない。
あまつさえ、しゃんと立ってみせている。

「酷いな…人を轢き逃げしかけて、更に撃ってくるだなんてさ?俺が何したっていうのさ?」

ぶつぶつ文句を垂れながら、やけに派手な頭の色の男が、こちらに近付く。
ボンネットに座すと、フロントガラスがあった場所から覗き込んで来た。
文句を言う割には、些か口角が上がっている。

「あんたは……」

悪魔ははっと息を呑み、目を丸くした。
片側だけ覗く金瞳を見れば、悪戯な色の瞳は嗤い、回答を待つ。
サムは僅かに上擦った声で、その男の正体を告げた。

「あの儀式屋の、Jじゃねぇか…!」
「へぇ。知ってるんだ…まぁあの人は有名だしね」

意外そうな口調で、血のような赤さと雪のような白さの髪を、Jは掻き上げた。
それから、さっと車内を見渡し、眉をひそめる。

「……運転手一人?変だな、君の主は?」
「あんたには……」
「あ、あの!」

サムの声を遮って、甲高い声がJの耳に飛び込んできた。
足下のスペースに隠れるようにしていたマルコスが、こちらを少し怯えるような目つきで見ている。
Jはそちらを見て、目を見開いた。

「なーんだ、いるじゃないか」
「若様!駄目ですぜ、若様は静かに…」

一番驚いたのはサムだ。
振り返りマルコスを隠そうとするが、少年はその制止を振り切って。

「あ、貴方が…あの、儀式屋の人なんですかっ」
「……まぁね」
「だったら、お願いがあるんです!」

ほんの少し震える声で、だがはっきりと目の前の男に訴え掛けた。
Jは首を傾げ何?と尋ねる。
マルコスは大きく息を吸い込み、そして一思いに告げた。

「ジュードを、助けて下さい!!」





始まりなんて、いつも唐突だ。
気付けば、勝手に幕は上がっていて、心の準備も何もない。

「……慣れた、んですかね」

既に、メイスを振り回して暴れているシスターに、サキヤマは自分の心が驚くほど何も感じていないことに、そう結論付けた。
あるいは、自分がこの機関の一部と同化し始めたのかもしれない。
だが、それでも。

「シスター・エリシア、殺しはしないで下さいよ…」

悪魔たちとの戦いに夢中になってる彼女には、聞こえはしないだろう。
だがそれでも忠告をしてしまうのは、この機関の中で“唯一慈悲深い神父”と呼ばれる所以か。
それは違うと、彼は思う。
ただ、まだ“こちら”に染まりきっていないだけだ。
そしてそれは、これからも変わらないだろう。

…サングラスを押し上げ、さてと彼は辺りを見渡した。
考えごとの時間は、どうやら終わりらしい。
サキヤマの胸へ目掛け放たれた矢を、彼は易々と避けてちらっと目を上げる。
エリシアが何の前触れもなく、いきなり戦いの火蓋を切って下ろしたせいで、つい先刻まで悪魔たちは思考が追いついていなかった。
だが、どうやら今になって状況把握が出来たらしく、無防備すぎるサキヤマがいることに、意識が向いたらしかった。
エリシアがあまりに目立ちすぎるため、サキヤマの存在が霞んでしまっていたのだ。
一斉に殺気を向けられ、思わず神父は苦笑した。

「……僕は、あまり戦うのは好きではないんですよ。なので、一つ提案しましょう」

己の後方で、たった今悪魔を数人まとめて片付けた彼女は、微かに笑ったらしかった。
きっと、これから何をするのか、エリシアは気付いているのだ。
彼の髪よりも淡い淡い色の空へ、拳を開いた右手を掲げた。

「五秒、時間を差し上げます。その間に、貴方がたが戦いを放棄することを、僕は推奨します……五…」

彼は言うだけ言うと、カウントを始めた。