「……何故です、何故それだけでいいなどとおっしゃるんです?」

呆気にとられつつも、何とかそう問いかけた。
ダイナの頭の中は、大混乱だった。
情報があちこちへ飛び、処理が全く追い付かない。
後から後から疑問だけが湧き上がって、何一つ解決へと導かれない。
何故そんな簡単に、謝るだけでいいなどと言えるのだろう。
どうしてこんなに、優しく接してくれるのだろう。
自分はもっと厳しく罰されて、当然のはずなのに。
そんな彼女に、アンソニーはやや面倒そうな表情で、そこまで説明するのか?と呟いた。

「君を信じているからだ」

ターコイズブルーが、際限なく見張られた。
主人が述べたそれが、混乱した頭では素直に受け付けなかった。

“信じている”

何度も何度も、無意味にただそれが繰り返され、そこから先へと思考が進まない。
それに対して言うべきことがあるはずなのに、上手く何も出てきてはくれない。

「……確かに君があの男を此処へ入れてしまったことは残念だったが、それを裏切りとは少しも思っていない。むしろ……私の落ち度だ」
「な、何をおっしゃるのですかっ」
「君がその行動を取ったのは、十六区での過ちをミュステリオンに気付かれたら、私にまで被害が及ぶと考えた結果だろう?」
「………はい」
「ならば君に、その心配はないと伝えねばならなかったのだ、私は」
「?……どういう意味です?」

文章の中で何かが抜け落ちているせいで、全体像が見えてこない。
一部から内容を推し量るのは無理だと判断した彼女は、アンソニーにその意味を問うた。
アンソニーは線で描いたかのような目を、ダイナから逸らすことなく向けて。

「君の十六区に関するデータ全てを削除するようミュステリオンに指示したのは、この私なのだ」
「………え…?」
「君と契約してからすぐにそうしたのだが、完全抹消まで数年を要してしまってな……」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」

主人の発言に、ダイナが待ったをかけた。
どうぞ、とアンソニーが首を傾げてみせた。

「貴方が、指示したのですか?」
「そうだ」
「どうしてそんな……」
「君を、信じているからだ」

もう一度、彼はその言葉を繰り返した。
だがそれだけでダイナが納得できるはずもなかった。
アンソニーは和らいだ表情で、その続きを語る。

「会った日のことを、覚えているね」
「はい、もちろんです」
「ではあの時、どんな顔をしていたかは覚えているかい?」
「それは……いいえ」
「……泣いていたんだ、君は」

ぽつりと、静かにアンソニーの口から零れ落ちる。
訝しむように硬く纏わりついていたダイナの雰囲気が、その一言で剥がれ落ちた。
遠くで見守るユリアたちにも、その変化が感じられた。
館の主は、大切な物を愛おしむような眼差しでダイナを見つめる。

「君の目は獣のように獰猛だった、だがその凶暴さの奥で涙を流し、嫌だと叫んで苦しんでいた」
「…………」
「それを見た瞬間、信じていいと直観した」
「たった、それだけで……?」
「あの男のように、私は未来を視ることは出来ない。だがそんなものがなくとも、人は未来を生きていく。私もそれと同じだ……自分に従ったまでだ」

かつかつ靴音を鳴らし近付くと、ただただ迷子のようにアンソニーを見つめる彼女に微笑む。

「だから十六区での一件も抹消させた。君はもう過去の君ではない、私が全幅の信頼を置くただ一人の助手だ」
「アンソニー様……」
「それを伝え損ねたことが、君をこんなにも追い詰める結果になってしまったな……故に今回の一件は、君が裏切ったとは思わない。ただ、残念に思うだけだ」
「……っ、それは」
「君の完璧主義な性格を考慮すれば、私に黙って一人で遂行しようとするのは百も承知だ。だがもし、事前に私が伝えていたら?……残念だと思ったのは、君に私を信頼してもらう機会を一つなくしてしまったということだよ」

ふっとアンソニーの目が憂うように伏せられた。
反射的に、ダイナは彼の両手を掬うようにして握った。
そして驚いたように見てくる彼から視線を離さないように、強い眼光で。

「そんなことありません!!」

いつもの平静な声音ではなく、力強く明瞭なそれが湿った空気を跳ね飛ばした。