ショートした思考回路が再び戻った時、エドの口をついて出たのは否定する言葉だった。

「そんな馬鹿な!我々諜報局の報告書には確かにあの女が……!」
「十六区崩壊後、数年してその報告がなされた。俺も会議に出席していたから覚えている……ただ単に、そちらの情報が古いのではないか?」
「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だぁああ!!」
「往生際が悪いぞ、エド。どちらにしろ証拠不十分だ……お前に関する数多の報告で、既に要注意人物として当局からマークされている。例えお前が目撃者だと名乗り出たとしても、そんな奴の証言を真実だと、誰が聞き入れる?」

ぎりっと、より腕を捻り体重をかけてそれ以上口答えさせないようにする。
黙ったところで、呆けたような吸血鬼と何処か安堵した主に、ベンジャミンは顔を向けた。
どうも吸血鬼の様子からして、自分の置かれた立場を理解していなかったらしい。
演技だとすれば、彼女は一流の女優だ。
だがそうではない、彼女はダイナという名のアンソニーと契約した吸血鬼。
──そして廃棄されたデータには、十六区関係者という肩書きもあった吸血鬼だ。
そんなものは、二十年近く前に処分されてしまったが。

「そうですね?」
「……君の言うとおりだ、神父ベンジャミン」

確認を取れば頷き返してきた。
もうこれで退散してもいい気がしたが、ベンジャミンはエドの目の前でもう一押ししておこうと考えた。

「貴方の吸血鬼は、」
「ダイナだ」
「失礼、ダイナはつまり共犯者ではなく、囮になったということで相違ないですね?」
「ああ」
「そうですか……我々に相談して頂ければ、すぐさま動いたというのに」
「……私のミュステリオン嫌いを考慮して、ダイナは自分一人で解決してくれようとしたのだ。ゆえに君たちに頼まず、儀式屋の面々の力を借りた」
「ほう……ダイナ、そうですか?」
「………えぇ、その通りです」

か細い声が、精一杯答えた。
足元のエドが何か言いたそうにしたが、頭を地面に押さえつけて阻止した。
事を荒立てれば、より収拾がつかなくなる。
此処でエドに色々蒸し返されては、面倒で仕方がない。
それに、アンソニーを敵に回す真似だけは避けたいのだ。

「……では結構。私はこれで」
「来たのが、君でよかったよ。神父ベンジャミン」

アンソニーの口元に微かな笑みが浮かぶ。
それを認めると、ベンジャミンはエドに手錠をかけて引っ張り上げた。
引っ張り上げられたエドは、物凄い形相でダイナたちを睨み付けた。
その眼力だけで、死に至らしめるような呪いでもかけられそうだ。
赤茶のその瞳からダイナも、アンソニーも視線を逸らさなかった。
ベンジャミンに急かされて歩き出すまでの間、エドはずっとそのままだった。
入口まで戻ってきた時、アキが腕を組んでそこに立っていた。
にんまり、悪戯猫の笑みを浮かべている。

「アキ、今回の件だが……」
「俺様のことは通りすがりの誰かさんにしといてくれ」
「分かった……感謝している」
「いやいや、こちらこそ。じゃあな、ベニー」
「ああ………、元気でな」

一瞬“またな”と言いかけて、ベンジャミンは思いとどまった。
自分たちミュステリオンと彼は、本来は会ってはいけない。
再会の言葉を口にしては、ならないのだ。
それを感じ取ったのか、アキの笑みが僅かに寂しそうになった。
だがほんの些細な変化で、至近距離にいても分かるか分からないか、そんなものだ。
そんな彼にふっと口角を持ち上げて笑えば、ベンジャミンは美術館から裏切り者と共に出て行った。

「やーっと全部終わったなぁ」

うーんと伸びをして、アキが呟いた。
ゆっくり首を回すと、骨が軋む音がする。
久しぶりにこの体で暴れたからか、そこかしこが何だか古い蝶番のようになってしまった。
まぁいいかと思い、アキはいつの間にかヤスの腕の中にすっぽり収まっている少女を見た。
じっと見つめてくる黒曜石の瞳は、やや警戒の色を宿している。
そういえば別れた時はまだ“アキ”だったから、似てはいるが何処か違う自分を観察しているらしい。
アキは努めて健康的な笑みを浮かべてみせた。

「ユリア、俺様の顔が何か?」
「え!?あ、あの…別に私は……」
「気になるんだろう?何ならもっと間近で」
「アキさん、ユリアちゃんに絡むの止めて下さいっすよ」

困り始めた少女を気遣って、ヤスがその間に割り込んだ。