「何か……あったんですか?」

いつもの元気な顔が浮かないのは、何かあったということに他ならない。
ユリアは眉を寄せて、心配そうにヤスの様子を窺った。
少女の問い掛けに、彼は声には出さず、ただ頷きを返した。
それが余計に不安を駆り立て、益々ユリアの顔色を暗くさせた。

「電話の主は誰だったんだ」
「アキさんからっすよ」
「アキだと……?」

彼ら二人の対岸にいるアンソニーも内容が気になるのか、早く話せと眼光を鋭くした。
ヤスは一呼吸置くと、ゆっくり電話での内容を告げた。

「その……アキさんが、一人じゃ寂しいから来て欲しいそうっす」
「…………は?」

思い切り深刻そうな顔をして、ヤスはそう言い切った。
身構えていた分、その内容の馬鹿らしさにアンソニーは一気に気が抜け落ちた。
隣で聞いていたユリアも、同じような反応をしている。
その二人を余所に、ヤスは益々真剣そうな表情を作って。

「そういうわけで、アキさん心配なんで、俺行ってくるっすね。珈琲ご馳走様っす!」
「あ、おい、待ちたまえ!!」

アンソニーの制止も聞かず、ヤスはカップに残っていた液体を飲み干すと、いい笑顔を残して去っていった。
引き止めようとして伸ばされたアンソニーの手は、重力に従ってテーブルの上に乗せられた。


廊下を大股で渡りながら、ヤスは先程掛かってきた電話での内容を反芻していた。
着信した相手は、アキでありアキでない彼からだった。
何故、今、彼が居るのかの理由は問わなかったが、大方変わらざるを得ない状況だったのだろう。
それより問題なのは、聞かされた内容だった。
アンソニーに言ったように、アキが寂しいから、だなんて馬鹿げた内容なわけない。
いや、あながち間違いとは言い切れないかもしれない。
こんな楽しいことを一人だけでするのは“寂しい”、と言っても正しいはずだ。
ただヤスにとっては、楽しいことだと到底思えない話だったわけだが。
それでも行くのは、アンソニーとユリアの安全を確保するためだ。

(だったらやるっきゃないっすよ)

自分に言い聞かせて、ヤスはアキから指定された場所へと向かうため、更に力強く踏み込んだ。



「あの男も、大変だな」

独り言にも似たそれは、のっぽの彼が部屋を飛び出してから少ししてのことだった。
チェス盤模様の椅子に深く腰掛け、珈琲カップを傾ける男の発言である。

「あの男……って、ヤスさんのことですか?」

何となく気になって、零れたその言葉をユリアは拾い上げた。
几帳面な髪を後ろへ撫でつけた男は、左右に首を振ってみせた。

「いや、儀式屋のことだ。昔から思っていたが、よくもまぁ、ああも滅茶苦茶な輩ばかり手元におき、尚且つ手綱を握れるものだ」
「……確かに性格はちょっと個性的かもですけど」
「性格もそうだが、それ以上に奴らの能力面がだ」
「……能力?」

少女は不思議そうにその単語を繰り返した。
能力と言われて真っ先にユリアが思いついたのは、Jの吸血鬼としての能力だった。
だが、ダイナにもそれは備わっているのだから、特別というわけではないだろう。
知らないのかね?とアンソニーは言葉を置いてから語り出す。

「この精神世界をヒトが生きるためには、誰しもが何かを失う代わりに新たな力を得る……お嬢さんも、精神体になった代わりに、失ったものがあるのではないかね」
「──────」
「奴らもそうだ。だが、奴らはあまりにも強大な力を得た。それを御し、あまつさえ使いこなしてみせる儀式屋は、本当に恐ろしい男だ」

元から細い目を更に細めて、彼は件の男と似た色をした液体を睨んだ。
その彼を見つめて少女は暫く黙っていたが、ふと考えついたことを尋ねてみた。

「じゃあ……アンソニーさんも?」
「私?勿論、そうだとも」

この部屋では浮いた色合いの少女に、男は鷹揚に頷いて見せた。
それから、何故か哀しげに口角を緩めてみせれば。

「聞くかね?小さな美術館を誇りとした、男の話を」

そう前置きをして、アンソニーはとつとつと言葉を紡ぎ出した。