(全く、面倒なことを……)

濃紺の髪は風を切り、駆ける足は地面を蹴り付ける。
彼が走るその先には、ぼろぼろになりながらも、逃げ続ける獲物。
彼は自分が速いことをそれなりに自負していたが、目の前の相手との距離はなかなか縮まらない。
負傷して尚、そのスピードを保つ獲物に、彼は内心舌を巻いていた。
だからといって、諦めるわけにはいかない。
自分の役目は逃げる獲物──悪魔を捕らえ、始末すること。
ミュステリオン唯一の慈悲深い神父であるサキヤマは、そう意気込むと強く地面を蹴り込んだ。

彼が追い掛けるに至った理由は、至極単純なことである。
彼が第三収容区を相方と見回っていた時に、隣の二区で悪魔が脱走したという連絡が入ったのである。
どうやら、上手く監視の目を擦り抜けたらしい。
これは良い機会だと喜んだ相方が、サキヤマを引き連れて向かった。
逃げだした悪魔の数は、五人。
うち、三人を好戦的な尼僧が、残り二人はサキヤマの仕事だった。
一人は収容区を出たすぐそこで始末したのだが、もう一人はサキヤマの攻撃を何とか避けつつ、悪魔街の外へと逃走を図ったのだ。
それをサキヤマは、先程からずっと追い掛けているのである。

そんな彼は今、大層機嫌が悪かった。
だがそれは、己の管轄外に無理矢理引っ張り出されたせいではない。
脱走した悪魔を捕らえることは、服務規定であるからだ。
それを理由に、あのシスターが飛んでいくことも、彼にとっては慣れっこである。
ならば、何が不満なのかといえば、悪魔が逃げた方面が問題なのである。

(よりによって、あの女の領域なんて……)

悪魔街は一区から十五区までが円を描くように隣接している。
その中央に見下ろすようにして高い塔がそびえ立っており、そこがミュステリオン全異端管理局の本拠地なのである。
当然ながら、彼らは本拠地とは反対側に逃げる。
そして二区から脱走した場合、その先に続く場所はリベラルの息が掛かった場所なのである。

サキヤマたちミュステリオンにとっては、障害に他ならない存在。
彼女によって制約された事柄のせいで、ミュステリオンは不利な局面に立たされる。
それさえなければ、もっと自由に悪魔街を支配できるのに。

(最も……昔はそうでもなかったですが)

ふと思ったが、きゅっと眉根を寄せ苦い顔をすると、思考を振り払う。
自分は今、ミュステリオン全異端管理局の人間なのだ。
かつてのことなど、どうでもいい。

(さて、早くこいつを始末しなければ……)

相棒のシスターは、片付いたらすぐに追うと言っていた。
それを待ってもいいが、あまり彼女の手を煩わせたくはない。

(逃げるばかりでは、興ざめというもの……)

サキヤマは両手にかかる確かな重みに意識を向ける。
サングラス越しに見つめる、獲物の背中。
多少疲れてきたのか、少し相手との距離が縮まっている。

(少し、遊びましょう)

たんっ、勢い良く一歩を踏み込んで跳躍。
同時に、しゃらしゃらと鳴るそれを手に取れば。

「いい加減、諦めてくれませんか、ねっ」

相手よりも先へ、殺気と同時に放つ。
重たい音がして、チャクラムがその行き先を阻むように突き刺さったところで、悪魔はとうとう立ち止まった。
サキヤマからのただならぬ殺気に当てられたのか、肩で息をしたまま動かない。
暫くそうしていて、背後に立つサキヤマの気配に悪魔は振り返った。

「ひぃっ」
「こんなところまで僕を連れ出すとは、感心しますよ」

地を踏む音を鳴らし、サキヤマは一歩近付く。
獲物──悪魔は、まだ若そうななりをしている。
サキヤマの姿に怯えるように、そばかすの散った顔を強ばらせた。

「あまり戦いは好みませんが、これはミュステリオンの決まりごと。しかし僕は慈悲深い神父……一思いに、殺して差し上げますよ」
「う、うわあああたすっ、助けてぇえ!!」

もう一歩、サキヤマが踏み込めば、悪魔は悲鳴をあげつつ建物の隙間へと逃げ込んだ。
次で仕留めてやろうと、直ぐ様サキヤマは追い掛けた。