黒衣の彼に向かって、Jは諦めたように口を尖らす。

「……いつも思うけど、それ、狡いよね」

紅い瞳。
それは、絶対的であり拒絶させないものだと、知っている。
Jは金瞳を細めて、それから吐息をひとつ。
逸らされない目を、睨み返す。

「……儀式屋とユリアちゃん、同じなんだろ」
「何がだね」
「儀式屋は、きちんとした実態を持たない、この世界に生まれた存在。そしてユリアちゃんは精神体…もはや元の体がない。つまり、両方この世界じゃ特異な存在だ」

こちらを見てくる目は、先を促す。
Jは一度唇を引き結んでから、口を開いた。

「俺は…儀式屋の血を摂取することで生きてる。だから、儀式屋の血の匂いを、俺は察知することが出来る。そして…そしてそれが、ユリアちゃんからも、した」

擦れた声音で、言葉を舌に乗せて音にする。
思い出したくもない、あの本性が垣間見えた瞬間。

「…俺は儀式屋の血の匂いと色を覚えている、そうすることで他人の血を飲まないようにするために。……でも、ミスが起きた」
「何かね、それは」
「分かるだろ儀式屋?あんたとあの子の血は同じ匂い…そしてきっと銀色だろ。平常なら俺は、抑えられた。でも瀕死にあった俺は理性を失い、この沸き上がる醜い欲望を抑えられなかった…だからユリアちゃんの血を、吸おうとした…!」

ぎりりっ。
吸血鬼の特徴である牙が、音を立てる。
それが忌まわしいものか何かのように、Jは顔をしかめた。
儀式屋は、それでも沈黙を守ったままだ。

ややもして、下手をすれば溢れだしそうな感情、それを抑え込み儀式屋に問う。

「…儀式屋、何故かつての俺は、この衝動さえも、あんたに渡さなかったんだろうな…?」
「…………」
「俺は、覚えてない。俺がいったい何処から来て、本名は何で、何歳で、家族は誰で、誰を愛し誰を殺して、儀式屋で働いているのか…俺は、何も知らないっ!知らない知らない知らない知らない!」
「J」

静かに儀式屋は、今にも発狂しそうな勢いでまくしたてた彼の名を、呼んだ。
奇抜な男は、ぴたりと叫ぶのを止める。
影のような彼の主人は、抑揚のない声を出した。

「君は、後悔しているのかい?」
「……馬鹿言わないでよ」

問われた内容に、今までの勢いは何処へやら、急激に熱が冷めたような口調になる。
あまつさえ、彼はニヒルな笑みを真っ赤な口唇に乗せてみせる。

「俺は、不満はないよ。俺の中を空っぽにして、あんたの物になった、それは当時の俺が下した最良の形だった。なら、何故俺がその俺に憤る必要がある?」
「だが君は、その吸血衝動を恐れている。そして、何故それもなくさなかったのか、怒っている」

淡々と、儀式屋は彼の中の感情を読み上げる。
それでもなお、Jの態度は変わらない。
ぱしん、儀式屋の腕を払い除ければ、髪を整え直す。

「それは儀式屋、俺を物としたのに何故俺から感情じゃなく記憶を奪ったのか、ってのと変わらない質問じゃん」
「……やれやれ、ああいえばこういうとは…まさに君のことだね」

払われた手をそのままの形で残し、黒髪の青年は呆れたように薄い笑みを引き伸ばした。
それから、ちょっと付け足すかのような軽さで。

「J、明日からどうするのかね」
「……さぁ?きっと、ヤス君に殴り殺されるかもね」

それから、と。

「多分、ユリアちゃんには避けられちゃうだろうね」
「それは、君が近付かないのではなく?」

その言葉に、ほんの一瞬、瞳が揺れた。

「……大差変わらないよ」

珍しく言い返すこともなく、Jは儀式屋の言葉を肯定した。
おや、と影は目をやや見開いた。

「そんなに、ユリアを食そうとしたのが、ショックだったのかい」
「……しつこいね、だから嫌われるんだよ儀式屋は」

うんざりした表情を向ければ、儀式屋はくくっと喉を鳴らした。