三章§04

しゃらん…

今にも空に手が届きそうな高さの塔、その最上階。
開け放たれた窓からは、柔らかな陽射しと、ほんの少し温かな、春の風が舞い込んでくる。
それは悪戯に金属的な何かを震えさせ、涼やかな音を奏でさせた。
心地よい音は狭い室内をすぐに満たし、そこで眠りに就いていた者の耳にも届いた。
その者は、微かに笑ったらしかったが、まだ目を開けようとはしなかった。

「……何時まで狸寝入りしてるつもりですか」

やがて、涼やかな、しかし金属の音ではなく人の声が響いた。
起きていたことを見抜かれた人物は、耐えきれず笑いだした。

「何だ、最初っから気付いてたのか?」
「当たり前でしょう、こんな真っ昼間から、貴女が寝るわけないでしょう」

やや呆れたような低い声は、未だソファから起きあがらない彼女に近付く。

しゃらん しゃらん

どうやらこの金属の音、漆黒の僧衣を纏った彼の、装飾品の音らしい。
手首に填められたいくつものブレスレットが、互いに擦れる度に鳴る。

しゃらん しゃら…ん

「で?余の顔でも見たくなったか?」
「聖裁です」

ブレスレットの音が止み、立ち止まったことに気付いた彼女は、その陶器のように真っ白な顔を上げ、茶化した。
だが返ってきた返事に、悪戯な表情は急変する。
そこにあるのは、狂喜を見いだしたかのようなもの。

「ああ…だからこんなにも血が騒いでいたのか」
「ですので、そろそろ引きこもり生活も止したら如何ですか」
「いつも汝は失礼だな…別に引きこもっていた訳では──」
「朝のミサにすら出ていないこと、局長に報告しても?」
「さて、余の服は何処だったかな」

都合の悪いことでも言われたのだろう、彼女はばね仕掛けの人形のように、ソファから勢い良く起きあがった。
さらっと、日に当たったことがないような白い首筋を、色素の薄い茶髪が流れた。
それを払うと、彼女は探し物をすぐさま見つけ出す。

(……いつもこのくらい、素早いと僕としても大変助かるんですが)

目の前で、先程までだれていたとは思えないほど、準備を手早く済ませていく彼女。
彼は心の中でそっと溜息を零した。

「よし、出来た」

その声に顔を伏せていた彼は目を上げ、灰色の瞳と視線を絡めた。
黒い尼僧服を身に纏い、薄い鳶色の長い髪は左右で結わえられている。
そして首からは、ロザリオが下げられていた。

それは、いわゆるシスターと呼ばれる出で立ちだ。
しかしながら、彼女の表情や雰囲気は、ただただ巡業に励む尼僧のものではない。
まるで今から、戦にでも行くような、刺々しさを覗かせている。

そんな彼女の姿を視界に収めると、彼はこの部屋に入ってから、初めて笑みを見せた。

「では、参りましょうか」

その笑みを絶やさぬまま、殆ど黒に近い濃紺の髪を携えた彼は、彼女を促した。

「ああ、久しぶりに、楽しめそうだな」

しゃらん しゃらん

ブレスレットの音に合わせて、春風に追い立てられるように、彼らは部屋を後にした。

三章§05

「俺、ずっと気になってるんすけど」

……乱入して来た銀髪の魔術師は、さして二人の仕事の邪魔をするでもなく、ただ眺めているだけだった。
一応、そうした常識はあるらしい。
そういう訳で、二人はさっさと開店前の準備を済ませ、二階から一階へ下りた。
スタッフルームには寄らずに廊下を渡り、その突き当たりの部屋へ。

現代的な物が目立つ、広々とした部屋。
ランタンの代わりに、蛍光灯が室内を照らす。
染み一つない真っ白な壁、そこに堂々と構えているのは立派なカウンター。
その周囲には棚が並び、中には様々な種類の品物がある。
そしてカウンターの向こうには、クッションのきいた椅子やソファ、低いテーブルと外へ通ずる豪奢な飾りの付いた扉が。

そんな受付において、先程のヤスの発言。
既にプレートは開いていることを示しており、実際、つい先刻前に個室予約に来た客が帰ったばかりだ。
そうして、丁度時間が空いたため、暇を持て余したのっぽの彼は、口を開いたのだ。

「気になるって、何がですか?」

予約表に目を落としていた少女が、入り口付近に立つ青年に視線を移した。

「それはっすね…」
「ユリアちゃーん!このお菓子食べていい?」
「あ、駄目ですそれ。Jさんが食べるものなんで」
「ってサンさん!!」

まさに話そうとした瞬間に、横合いから子供のように弾んだ声が飛び込んできた。
ユリアの隣にちゃっかり座って、カウンター下から引っ張りだした箱を抱える、魔術師だ。
やけに背の高い青年は、びしっと彼を指さす。

「こらぁ、人に指差したらいけないんだぞぉ」
「あ、すみませ…じゃなくって!いつまで居るつもりなんすか!?」
「……何のこと?」

ユリアに駄目と言われ渋々箱を直した彼は、前髪で見えないが不思議そうな瞳をしてみせた。
何となくだがそれが分かったヤスは、カウンターに近付き更に言葉を重ねた。

「今日に限って、居すぎだって言ってんすよ!」
「あはっ!なるほどーそのこと!」

合点がいったのだろう、両手をぱちんと打ち鳴らす。

大概、サンは開店してから少し経てば、飽きただの詰まらないだのと文句を言って帰るのだ。
だが今日に限って彼は、なかなか帰ろうとはしなかった。

ユリアもそう言えば、といった面持ちになる。
麗貌の中、一際目立つ深緑色の口唇が笑う。

「もう、剣士クンも男なんだから!そういうことは早めに言いなよ!」
「……は、はい?サンさん、ちょっ」
「仕方ない、君も僕に比べたら何百歳と若いんだ。大人な僕は引くべきだよねぇ」
「何勝手な話を…!」

どうやら、ヤスの発言をおかしな方向に捉えたようだ。
それを察したヤスは、立ち上がろうとした魔術師を引き止めるため、彼へ大股で詰め寄った。
が、詰め寄ったところ逆に手首を捕まれ、ぐいっと下へ引っ張られた。
思わず前へつんのめった青年の耳元へ、サンは慌てた様子の少女に聞こえぬよう囁く。

「二人っきりに、なりたいんでしょ?」
「はっ!?ち、違うっす!」
「あはっ、照れてるの?僕は儀式屋クンのとこに行くからねぇ」

完全に己の思い込みを信じる魔術師を、止める術はなかった。
長い銀髪を翻して、彼は二人に手を振った。
そのまま、カウンター側の扉の向こうへ体を潜り込ませて。

「それにねぇ、今日は素敵な日だから、機嫌がとってもいいんだ」

真っ赤な顔をした彼と、事態を把握出来ていない少女を、さも愉快そうな緑柱の瞳に映して、白い人影は扉の音と共に消えた。





その言葉の通り、サンはそれから真っ直ぐに、闇を纏う男の居る部屋へ向かった。

「お早う、儀式屋クン」
「やはり来たのだね、サン」

ノックもなしに入ると、儀式屋は机に向かったまま顔も上げず答えた。
サンは首を傾げたが、すぐに理由を察した。

「まぁた遊んでる、いけないんだぞ」
「……貴方は趣味にまで口を挟むのかな」
「だって儀式屋クン!今日を何だと思ってるの?」

その言葉に、彼の肩が僅かに反応する。
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