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思いは正しく伝わらない



私は書く文が長い。
長いことには何の不都合もないし、読むのも好きですが
自分の文を読むと、結局何が言いたいんだ?と思います。

書いてるとあれもこれも出てきてしまって、削れないから長くなるんですよね。
まとめる力もないです。



これには、読んでいる人(この記事を読む人、未来の自分)に、誤解されたくないという気持ちがあるからで


「正しく」理解してもらいたいのは
ずれた自我像を許容できる寛大さが私にないから
私が私を思うことが、常に不安だから



自己満足だし論理性がなくとも支障はないのに、理屈とか出そうとしちゃって
見栄と嘘だらけで、それも本当



これも思い付いたし、あれも分かってる、知ってるよってアピールしたがってるのを自覚しているので痛々しく思います。


とにかく格好つけなんです。
自己顕示欲のみならず、見てもらう自分を過大評価して欲しくて
わかってほしいのは等身大の自分ではなく、私が見せたい部分
ある程度の強さ、ある程度の知識、ある程度の幅
弱さも書いていますが、それも知って欲しい一部の弱さだけで

スポットライトをあてているところを見せているだけで、全体は大きいんだと
操作をしているのは自分なんだ、もっと広くてすごいやつなんだと
強がって、上に立とうとしてる


そんなことをしても満足するのは一時の己の弱い心だけだと、理性は教えるけれど。






これで自分の気持ちがわからないとか言っていて、笑えますね
わからなくなんかないです。
醜いから、見たくないだけで。

社会契約


その行為は、許容できるものではない(私には許容できない、という意味だ)が、その動機を、肯定したり、否定したりすることは、ナンセンスだ。動機は自由なのである。いかなる動機にも罪はない。





「うーん」保呂草は上を向く。
「そもそも、人殺しって、何なんでしょうね?」
「何かしら……」
「僕は、それが知りたいな。人を殺してはいけない、ということになっているけど、でも、虫や植物は殺しても良い。意味もなく殺しても罪にならない。魚や鳥、牛や豚も殺されますね。
じゃあ、人間はどうか……、日本だけで一年に何万人もの人が自殺しています。事業に失敗して、受験に失敗して、恋愛に失敗して、人は自殺する。
それはつまり、誰かが成功したからではありませんか?
 人は人を蹴落として這い上がろうとする。良い成績を取り、良い業績を上げ、人より得をし、人よりも幸せになろうとする。それで、敗れた者のうち何人かは、死んでいく。そうじゃありませんか?
 だとしたら、僕らは誰だって、知らず知らずのうちに、間接的に他人を殺していることになる。誰も殺さないでいたいのなら、勉強をしたり、仕事をしてはいけない。お金を儲けたり、得をしてはいけない。幸せになってはいけないことになる。戦争みたいな単純でわかりやすい人殺し以外にも、同じような殺し合いは、日常的に行われている。そうじゃありませんか?」

「だから、人を殺しても良い、とおっしゃりたいのかしら」紅子はゆっくりとした口調で尋ねた。
「いいえ、違います」保呂草は首をふる。
「人類という種族が繁栄するために、仲間どうしの直接的な殺生を慎むようなルールを決めた。それはそれで合理的な考え方、つまりは、省エネルギィの一環として評価できます。
モラルとか、そういう馬鹿みたいな価値観で論じようとは思いませんけどね」
「私も、そう思うわ」紅子は顔を上げて優しく微笑んだ。
「沢山の固定観念が作られる。どんどんどんどん、その固定観念で人間は鈍化していく、それが歳を取るってことだ。何故か?
それが一番安全で、楽ちんだからです。」

Delta in the Darkness


「やむにやまれず犯した殺人っていうのは、情状酌量の余地があると思う」
「ある……」紅子は頷いた。まるで、練無がその意見を口にすることを予期していたかのようなレスポンスだった。
「確かに、社会の理解を得て、刑が軽くなるような殺人が存在するみたいだね。
けれど、それは、逆に見れば、つまり、死刑と同じで、人が人を裁いていることになるのだよ。
そういった殺人を認めることは、正義のためなら戦争を許容し、正義のためなら死刑を許容することへ進む可能性がある。正義という名前の理由さえあれば、人を殺しても良いことになる。その理由がないものは駄目だ、という理屈になる。では、正義って何だい? 理由とは何だい?
 たとえば……、そう、正当防衛は許されているよね? 
自分が殺されそうになったら、相手を排除できる。抵抗しても良いことになっている。ところが、それは物理的に不可避な場合だけで、精神的な攻撃には適用されない。精神的にどんなに痛めつけられても、相手を殺してはいけないことになっている。これ、どうしてだと思う? 
人によっては、精神的な攻撃の方が耐えられない、という人格だってあるんじゃない?
 その答は簡単。つまり、精神的なダメージが測れないから。定量的に観察できないから。
すなわち、躰なら怪我が見えるのに、精神の怪我は見えない。ただそれだけの理由です。
そもそも、人間の作り出したルールなんて、まだその程度のレベルなんだ」紅子は腕組みをして、天井を見上げる。
「テレビの時代劇なんか、主人公が悪者を切り捨てるけれど、あれも殺人だよ。あれは、正義かな?
 大衆は、良い殺人と悪い殺人がある、なんていう作りものの価値観を見せられて、それを信じている。完全な妄想。完全な洗脳。とても大きな間違いだと私は思うな。危険な思想だとさえいって良い」






「殺されたくない」という自己の欲求から「殺してはいけない」という他者への禁止に行けるのかどうか…どうなのでしょう

黒猫の三角



「遊びで殺すのが一番健全だぞ」紅子はこともなげに答える。
「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を治すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」
「お嬢様、それはお言葉が過ぎます」
「では何か? 宗教的な儀式だとか、復讐に燃えるといった恨み辛みがあれば、それで正義だとでもいうのか? 復讐ならば正義か? 理由さえしっかりしていれば、殺人を犯しても良いのか? もしそうならば、殺人の許可証を区役所で発行してはどうだ?」

「少なくとも、人情的には理解できます」
「馬鹿馬鹿しい! 理解などして何になる」紅子は面白そうな表情で機千瑛を睨みつける。
「殺人者の心境を理解して何が嬉しいのだ。何が得られる?」

「嬉しいのではなく、我々一般人の想像の範囲内であった、ということで、まあ、一応は納得ができる、と申しますか、安心するわけですな」
「何を馬鹿なことを……。殺人者の心境が想像の範囲内であることの方が不健全ではないか。
それでは、自分もいつか人を殺したくなるかもしれない、と思って落ち着けるというのか? 
それよりは、遊びで殺した、全然理解できない、で済ませる方が私は安心だ」




話題:最近読んだ本
何回かに分けます。推理ものなこともあり、概略も書きません。


理由がしっかりしていれば、何をしてもよいのか? 
「まぁ、それなら仕方がない」と思われるような理由付けさえすれば、何をしてもよいのか…
他人の共感、理解など必要ないとすればそれまでな気もしますが



主張と理由の関係、行為と理由の関係…。主張のみ、行為のみを理解する、納得するということはほとんどない。
なぜ、そのような行為をするのか、理由があってはじめてわたしたちは他者の主張や行為に理解や納得を覚える。
したがって、大切なのは主張それ自体や行為それ自体というよりもむしろ、それを支える理由なのではないか、とも考えられる。
すると、理由にさえ共感が得られれば、主張や行為の内容は問われなくてもよい、何を言っても、何をしてもよい、という極端なところまで持って行かれかねない。




「理由は必ずある」紅子は頷きながら言った。
「ただし、その理由が、言語として他人に伝達可能かどうか、あるいは、たとえ伝達可能であっても、他人の共感を得られるかどうか、という問題が残るだけなの」

自分で馬鹿と言うのは簡単だ



感情をあらわす言葉を知らないというのもあるだろうけれど
今一自分を直視出来ていない
この「自分」は現状とも置き換えられる。



自分自分している割に、何もわかっていないなあと思う
わかりたい以上にわかりたくなく、言葉ではっきりと表してしまったら
自分がそれだけの存在で、矮小なんだと実感することになる。それが怖い。
複雑で高貴な人間でありたかったという欲望が見え隠れする



面倒くさがりな上、批判的になってしまう面とか
負けず嫌いで泣き虫で、劣等感だらけの自分を
忘れたい
目を背けたいと思うことが、過大な自尊心を産む。





知りたいって興味は好きってことだと思う
嫌いならまず近付きたくないし
でもどうして嫌いなのか知りたいってこともあって、それすら自分が好きってことで



なんでも自分に結びつけてしまう厚かましさというか
自家撞着してなんぼと言ってしまえばそれまでだけれど


比較対象である他人ですら、都合良く受け取ってしまうのは良くないことだと思ったのでした。
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