自分に幻滅したくなかったから
勉強をしようとしたんです
自分が、自分で、自分を知るために
自分病を解明したかったから
どういう理由にしろ
そこからのめり込んでいったりする人がいる事も知っていて
逃げじゃなくて、打ち込めるものがあることが
少し うらやましいと思う
言い訳とか、仮の場所でしか落ち着けないことが人間として悲しい
座禅をしている人の脳波を取り、5分に1度ベルを鳴らす実験をした。
修行をつんだ禅僧と、一般人に同じように座禅をしてもらって比較をする実験である。
ベルが鳴ると、どちらも脳波が乱れる。
禅僧ならば乱れないだろう、と予想されたがそうではなかった。
そして、2回め、3回め、と回数が進んでいく。
一般人の脳波は、だんだん乱れなくなってくる。つまり、ベルがまた鳴るな、と予想して身構えるからだ。
しかし、禅僧の脳波は、いつまでも同じように乱れたという。
無心とは、こういうものであるらしい。
わざとこの件にわたしを巻き込んだのかもしれない―巻き込んでくれたのかもしれない、と、わたしはそんな風に思った。
もっともこれは思い違いである。
思い違いで。
思い込みで。
そして―思い上がりだ。
昔の事を思い出しても、もう前ほどには辛くならない
…書いてるうちに一時の感情な気がしてきた……
大人になるにはある種の鈍感さとか、図々しさが必要で
そうなりたくなかったから泣いたんです
そうなりたくないって思うことは、自分はそうではないという気持ちが前提で、違うのに
後ろ向きの希望
未熟さとか若さを盾にしてしまう点で幼いんでしょう
話題:ふと思ったこと
自分の目の写真をブログとかに載せるのってなんなんだろう
わからない
顔全体だと自信ないけど、目なら良いって思ってるのかな
私は自分の外見が嫌いだからこう卑屈なのか、そういうブログ見ると複雑な気分
複雑なんて遠まわしな言い方やめると、可愛いと更に卑屈になる
読む人巻き込んでかわいいって肯定してもらおうとしてるの?とか思っちゃう
そんな事考えてる自分醜いって思考ループ
こうやって書いてる文も、「あなた達とは違う私」みたいな見下しになっちゃうんだろう
自己顕示欲に荷担しているのか
でも自分も文章を載せてる点で、外見を晒す事より恥ずかしい事なのかもな
『あゝ日本の夜の暗い事はとても言葉には云ひ尽くせません。
死よりも墓よりも暗く冷く、淋しい。
如何なる憤怒絶望の刃を以てするも劈きがたく、如何なる怨恨悪念の焔を以てするも破り難い闇の牆壁とでも云ひませうか』
永井荷風が感じた、日本の夜。
今は昼でも夜でも色んなところに明かりがあって
暗いものは排斥するような風潮
私は闇から目を背けたくない
だって、ずっと明るいのは 不自然だと思うから