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沈潜


 




懐かしい布をとりだして頭のなかのどこをぬぐっても
今ではもうなんにもつかない


行きたい国もないし食べたいものも思いつかない。
なんにもないのに

出来事なんてなにもなくて、ただこうして座ってるだけなのに、気分が暗く沈んでいってしまうのが見えるとき
渋谷とか人と音がとてもある場所を歩いて、歩けば歩くほどひとりきりになっていったあの感覚がやってくる


最初からひとりだからそれ以上ひとりきりになんてなれないのに、もっともっとのひとりきりがやってくる。
知ってるでしょう、ひとりきり。


きっとひとりきりをひきずって今もどこか歩いてる人がいるんだろうな

歩いても曇り


 



誰かと会うわけでもなく、自分と向き合うわけでもない日々
何をしているかというと
何もしてないですね
食べる事はそれなりにしてますが
飲む事もしていない
水分をとらない事に対して親はよく私に怒った
だからふらふらしているのだよと



学校で表彰される時に、壇上で普通にしていたつもりが
あとで友達に終始ふらふらしていたと言われた事も思い出して
その時は、自分がふらふらしていたと全く気づいていなかったし(今も気づいていないけれど)結構びっくり…した


人に言った事は忘れてしまうのに、人から言われた事は覚えているというのはこういう事か




自分の声を録音した物を聞くと違和感を覚えるように、自分の普段の様子を録画したら
きっと気持ち悪いんだろう

自意識過剰極まりないけれど
気持ちを見つめる事はしようとするのに、行動を見ようとはしていない
ああ…何が言いたいのかわからなくなってしまった

歩く為には


 





[ 材料 ]
・夜    5滴
・叫び   大さじ3
・太陽の影 小さじ2
・道化の目 1個
・傀儡の右手と左手の薬指

忘れてく思い出は計り知れない



 




美しい物や風景を見たときに、写真を撮ることに頼ってしまう
データをパソコンなどでいつでも見られる
それは素晴らしい事だと思う

けれど
思い出したい景色がある
私がパソコンもケータイも、デジタルカメラも持っていなかった時
純粋に晴れの日を喜んでいた時
おばあちゃんが生きていた時


今は建物がたくさん建っているけれど、その時は何の舗装もない土だった
そこで、笑い声がするのだけれど何が楽しかったのか、何をしていたのか、全く思い出せなくて

木も畑も広くあったのが跡形もなくて、沢山生えていたのは何の木だったのか、あの食べられる実はなんだったのか
何も思い出せなくて
あの低い目線で、何を見ていたんだろう


どうってことなかったのだろうけど、幼い頃の日は美しく見える




16歳の私を支えていたのは、お金でも学歴でもなくて、愛された記憶だったから
(それがあるから罪悪感も悲しみもあるのだけれど)


甘美な思い出にひたりたくなってしまう時があるな、と思ったのです




忘れたくないと思ったものを、脳に刻みつけておくということ
失いたくない。


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