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あたしの歩いた道には花が宿ってたのに


 



あたしって自分を守るために
他人を憎んでばかりだった…

「あたし」って自分に似合わない気がするけれど、この文には合う気がする。
書きたいことが沢山あるようなないような、オリンピックとか、地震とか、世界的ニュースもあって
でもどこかすごく他人ごと。
自分しか見えてない
ダメですね
一回殴られたほうがいいのかもしれない。
「甘えるな」って。慰めの言葉をかけられるよりも、そのほうが嬉しいときもある…責任転嫁?

慰めというのは頑張った人にむけるのであって、私のような態度ではもらえるものではないのです。
つらい出来事であればあるほど、「この気持ちが他人にわかってたまるか」という気持ちが底にあるのが人間。
「がんばれ」が重荷になると言われることがありますが、何がいいのでしょう
「がんばったね」でしょうか。
上から目線というか、こう言われるほうがさっきの「他人わかってたまるか」がでてくるわけで、でも言葉をほしがる。建て前だとわかっていても。
嗚呼、言いたいことと違う




なんとなく幸せって思ってる人より
なんとなく不幸って思ってる人のほうが多いと思う

だから全部見せ物


 



ふと自分の空虚さを感じてしまう瞬間っていうのがあって、そうした時に悩むっていうのも「悩んでるんじゃなくて悩んでるフリがしたいだけ」って言葉が浮かんじゃうし、そこで悩まない選択肢を選んでも何お前スカしちゃってんの的な言葉が浮かんじゃって、結局悩んでも悩まなくてもどっちも表層的なものになっちゃうっていうことで悩むんでまた…って感じで。



最近「論理的に物事を考える」ことが信じられなくなってきた。こうなってくるともうオシマイだね。
論理性だとか客観性ってのは知識に公共性を与えてくれる。公共性のない知識にコミュニケーションもなにもない。

「自分のことをわかる人だけわかってくれればいい」自閉的世界の中を他者なき他者を求めて歩き回る。それで社会をドロップアウトして自殺なんて最高にナルシスティックな結末で幾らでも自分を慰められる。


誰一人自分のことを理解してくれなくたって構わない。自分で自分を慰めることが出来るナルシシズムさえあれば、今の時代は「価値観の違い」って魔法のコトバを唱えれば相対主義という名の最強のバリアが僕らの心を守ってくれる。そこまでして守る価値があるの?さあ、わからない。


それでもブログにこんなこと書く理由は何なの?
他者とのコミュニケーションを断絶させてなお、ブログというコミュニケーションツールを使う理由は?
本当は人から愛されたいんだろ?
結局「私のことわかる人だけわかって」とか言ってるのもパフォーマンスなんだろ?
知ってるよ、そんなこと。そこまで含めて自閉的ナルシストキャラ演じて人の注目浴びたいって自分で気付いてない訳ない



ここでこんなに苦しんでますアピールしてる自分もきっと偽物で本物。
このどこまでも無限に続くメタゲームを断ち切るにはもはや思考停止しか無いのだろうか。
知ることは疑うことと限りなく等しい。
哲学の世界は一周してついにコギト・エルゴ・スムに帰ってきた。いや寧ろ更に悪くなった。
まるで「我思う、故に我無し」そう考えるとループではなくスパイラルだからまだ救いようがあるのかも、いやないのかも。

ありのままの自分なんていないって頭の中では割り切っていても、やっぱり心の中でアイデンティティに対する執着みたいなのがあるんだろうね…

私服で入国する勇気はない

 



スノーボード国母選手、ずいぶんマスコミに叩かれたみたいですね

私は正直言って、4年前騒がれていた今井メロ選手のほうが気になる。自作のラップを流して気分を上げるという、結構話題になっていた記憶があるのですが…。兄弟の名前もぐりむとどうむで可愛いなって思ってました。童夢、夢露、緑夢だった気がします。


国母選手の話に戻すと、服装原理主義者は許せないことらしいです。
マスコミが騒ぎすぎな気もするし、国母選手の批判と国母選手を批判する日本の批判とどっちが多いのかもわからない

連盟側は本来選手を守るべき立場ではないのかとか思いました。
服装はその人の育ち、価値観をあらわすから怖い




Fri Feb 12,2010
UnsuitableーJapanese snowboarder busted for bad fashion

アメリカYahoo!コメントより

・敬意払え、オリンピックはアリーナのショーじゃない
・誰もお前のことなんて見てねーってww
・簡単にテレビに影響されて、可哀想な世代
・スノボは個人競技!
・なんで日本人がドレッド?w
・こんな奴ほっとけよ。人生にはもっと大事なことがあるだろ?




とある有名人のブログのコメントより


寛容派にとって服装とは自己表現の道具であり、保守派にとっては服装はその人の社会性を表す道具なのでしょう。
表現が自由だと思えれば、社会性を表すのもまた自由だとして理解できるでしょう。
自分のパフォーマンスを表現しようとした国母選手も保守派の意見だって理解してるかもしれません。

「おめーらの言うことはわかるよ、ごめんな、でもそれってくだらなくね?」
という感情の表現として、正しい会見をしたと思います。
ただ、原理主義派には全くの理解不能、意味不明でしょうね。

お世辞ってなんだろう

 



人から言われるバトン

JMWさんからだいぶ前にいただいたバトンです。ごめんなさい…!書かれていた「白」まさにその通りだと思います。可愛らしい


■考えてみるバトン■

》自分がよく人から言われることについて考えてみよう!
>何故そう言われると思うか、それについてどう思うかなどいくつでも自由にどうぞ


・怖い(表情…ですかね)
・もじゃ(髪の毛だわ)
・価値観、死生観が人と違う(うーん)
・肌が白い(って言われるのは嬉しいです)
・病気がち(ですね)
・頭良さそう(見た目だけ)
・天然(ぼけてます)
・何もない所で躓く(まっすぐ歩けない!)
・童顔(大人っぽくなりたいです)
・もちもち(むにむに)
・ネガティブ(自分に甘い)
・秘密主義(うーん)
・敵にしたくない(何故でしょう…)
・ルー語(日本語難しい)
・不思議ちゃん(周りがみえてないだけ)
・話がおもしろい(ありがとうございます(?))
・一匹狼(自己中心的)
・誰も信じなさそう(に見えるんですかねえ)
・泣かなさそう(いやはや)
・人に影響を与える(え…)
・ハグ魔(あいさつ)
・声がかわいい(自分の声は嫌いです)
・赤ちゃんみたい(ひどいや!)
・変な歌をうたってる(変じゃないですよ)
・自転車こぐのが下手(笑)




》適当な人数に回してください
どなたでも


お疲れ様でした! 
お疲れ様でした!


実際によく言われること、思いつくような思いつかないような
よく言われる、言われたことがあるものをざっと書いてみましたが、私のイメージってなんなんだろう…あ!思い出した。
「存在が透明」
「存在感ありすぎる」

かげがうすいのか態度でかいのかよくわからないけど、人に言われなくちゃわからないこともあるし、言われてもわからないこともある。
自分からみた私と他人からみた私の溝

他人の目を気にするってどういうことなんでしょうか

例えばそれがつらいのだと言って


 



貴方に理解が及ぶこともあるでしょうか
どうしても、紛れられないような
鮮明で確かな痛み

なんで同じにいて
壊れなかったのだろ





誰かの一番になんて
きっとなれないの

自分の中の一番にすら
なれないんだから

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