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「おまえはそういうのぜんぶ自分に向けちゃうんだね」

 


羨ましがったからって今が変わるわけじゃない
ただあいたい


そんな大それたこと
おもったことはない

きれいなものになりたいなんて


あのこの世界に居られたときだけ
信じられないくらい大きなものになれた

そう
きみがいたからじぶんを
だいじにできたんです

あいたい

のに

その目も 記憶も
要らないんだわ

死んだらいつまで生きるのだろう

 



今日1日部屋を片づけていたのですが、すてられない
思い出がある気がして

でも私が死んだらぜんぶいらないものなんだ
って思って物を大量に捨ててしまうことがあります。



たとえば、ペンがあって
実際に書くことにつかうということよりも、たまに見て思い出を思い出すっていう精神的なはたらきのほうが多い気がします
そういう物が集まって、わたしを満たしてくれているのかな…


私自身1人でいることが多いと思うし、友達も一般的な数とくらべたら少ないと思います。でも寂しいとかそういう感情がそんなになくて、自分が寂しがりだという自覚もないけれど、そうなのかもしれない
人にはすがらないけれど、物にはすがる。過去にすがりつく


って書くとすごく1人の世界にこもってる感じですね






あまり考えずに物を買ってしまうことがあって、前よりは減ってきたと思うのですが…


所有するということに喜びを覚えるのかもしれない。

読まずに記憶から捨てられてしまい、本棚の隅の方に放ってしまうことも少なくない。
それでも毎回購入してしまうのは、所有ということに一種の快楽を感じているからなのだろう。



自分の遺品整理とか考えただけで狂える

ゼロから0へ

 




持ち物を少なくしたい
誰も住んでいないような部屋

そこで 黙ったり 歌ったり 倒れたりしてみたい



何がいるんだろう

毎日みているのに、どこか遠くにいるモノたち
思い出を捨てたくなくて、捨てられないモノたち
「もしも」「いつか」使うかもしれないと思っているモノたち


なんのためにあるのだろう
ねえ、きみたち


わたし、必要としていますか
わたしが、わたしを、わたしの




はじめは
何ももっていなかったのになあ

さいごも
何ももっていけない

しあわせのかたち

 



前回の記事で勘違いなさっていたらすみません…。
幸せを遠くにさがすのは間違いで、自分のまわりをみてみよう
という歌です。



幸せは感じるものだとか、さがすものじゃないとか人それぞれ考え方があって、難しい感情だなあとよく思います。感情なのかすらわからないし、不幸せの逆なのか?と考えるとそれもまた違うような気もします。
お金がないことが不幸せだとしたら、お金があることが幸せで
でもお金しかなくて満たされないという人が描かれる話もいっぱいあって、必要なのは愛だとか友達で。
お金もなくては生きていけないし、食べ物もそう。
感謝なのか、嬉しいとどうちがうのか
こういうことについて考えると、自分の考えの短絡さに気づきます。
しかも考えている自分に酔ってしまうので独善的。


自分のまわりをみてみるっていうのが私にとって難しいです。
過去が違ったらいいのにって考えることが多い自分は、今が見えていないし
未来に期待してるくせに行動はしない口先だけで、自分を責めてるフリ
悲観的な考えなのは、それが一番楽だから





忘れられない言葉


幸せって何?
ならなきゃいけないの?

Under the sea


  



You dream about going up there
But that is a big mistake

Just look at the world around you
Right here on the ocean floor
Such wonderful things arround you
What more are you looking for
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