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友達が幼稚園生からやり直したいって言ってた。
記憶持って戻りたいって言っててすごいと思った。
もう一人はやり直したいとは言っていないけど、戻るなら高校生の時先生と付き合えば良かったって言ってた。

会う少し前に、過去に戻れるならって自分でも考えてた。
でもマシな未来っていうものが思い描けなかった。
戻っても両親と環境は変わらないとしたら、自分の人格の半分はそこから来ている気がするし、変わるにしても限界がある。
人生やり直してたら宝塚に入学していたかとか、 プロのアスリートになっていたかといえばあり得ないと思う。
そういう次元には至らなくても、まともな結果が思い浮かばない。
楽しく学校に通う自分なんてどこにいるんだ(笑)
親も家も顔も一緒…
そんなに変われないと思っているのは自己保身なのかもしれない。

今よりも悪い結果になるかもしれない。
多少良い選択をしても、そう大差ない気がする。
受験や人間関係を悔むよりも、違う遺伝子だったらって感じだ。

人生で間違えた事がたくさんあるけれど、その選択をするにも一日で決めたわけじゃなくて、長年の積み重ねでそう選んでしまったから、もし○○していたら、していなかったらって一つの出来事をやり直せるとしても根本は同じというか、取り返しがつかないんだよね。

やり直したくないし、過去に戻れるくらいなら未来に行きたい。ニーチェの永劫回帰はもちろん無理。













あえて観察主体と観察対象の両方を見渡せるような透明人間的視点に立って言うならば、この世界は、透明人間的視点を取って他者よりも優越しようとしては失敗する人々の蠢きによって構成されているというわけだ。
悪循環の現象学―「行為の意図せざる結果」をめぐって/長谷正人

バター、生クリーム、小麦粉

甘いものを作る番組は見てるだけで満足感が高い。
甘いものを食べるのは好きじゃないというか普通で、ひいきのお店やこだわりの砂糖とかない程度だけど、見るのはすごく好き。
工場で大量生産されてる映像を見るのも好きだし、1人で作る料理番組も好き。
マーサの番組録画してたくらい(笑)

カロリーの計算もしないで作られるお菓子は良い。
工程見てると砂糖の量がえげつないのはどのお菓子も一緒で、それでこそお菓子って感じがする。











別れを告げる。それは本当に難しいところだ。一度精神病院に入ると、人は狂気の世界の自由に慣れてしまい、それが中毒になってしまう。
ベロニカは死ぬことにした/パウロ・コエーリョ

はの



自分の弱点を弁護している言い訳集
でも綺麗に見せたくなるのはなんでだろう。


痛みにうんざりする。歯の。
肉体的な痛みの前では精神的なあれこれがどうでもよくなる。
治療途中でも痛みが続くから脳の錯覚なんじゃないかと思う。
腰痛でも思ったけど、最初の痛みは確かだろうけど後日の痛みは減ってても脳が痛みを増幅して伝えてる気がする。









私は「清貧」ということばが嫌いです。
それと「謙遜」ということばも好きになれません。
私のまわりに、この言葉を美しいと感じさせる人間がいなかったこともあります。少しきつい言い方になりますが、私の感じを率直に申しますと、
清貧はやせがまん、
謙遜は、おごりと偽善に見えてならないのです。
清貧よりは欲ばりのほうが性にあっていますし、へりくだりなら、どこかで認めてもらいたいという感じをチラチラさせ、私は人間が出来ているでしょう、というヘンに行き届いたものを匂わせられると、もうそれだけで嫌気がさして、いっそ見栄も外聞もなく、お金が欲しい、地位も欲しい、私は英語が出来るのよ、と正直に言う友人のほうが好きでした。
夜中の薔薇/向田邦子


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