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Delta in the Darkness


「やむにやまれず犯した殺人っていうのは、情状酌量の余地があると思う」
「ある……」紅子は頷いた。まるで、練無がその意見を口にすることを予期していたかのようなレスポンスだった。
「確かに、社会の理解を得て、刑が軽くなるような殺人が存在するみたいだね。
けれど、それは、逆に見れば、つまり、死刑と同じで、人が人を裁いていることになるのだよ。
そういった殺人を認めることは、正義のためなら戦争を許容し、正義のためなら死刑を許容することへ進む可能性がある。正義という名前の理由さえあれば、人を殺しても良いことになる。その理由がないものは駄目だ、という理屈になる。では、正義って何だい? 理由とは何だい?
 たとえば……、そう、正当防衛は許されているよね? 
自分が殺されそうになったら、相手を排除できる。抵抗しても良いことになっている。ところが、それは物理的に不可避な場合だけで、精神的な攻撃には適用されない。精神的にどんなに痛めつけられても、相手を殺してはいけないことになっている。これ、どうしてだと思う? 
人によっては、精神的な攻撃の方が耐えられない、という人格だってあるんじゃない?
 その答は簡単。つまり、精神的なダメージが測れないから。定量的に観察できないから。
すなわち、躰なら怪我が見えるのに、精神の怪我は見えない。ただそれだけの理由です。
そもそも、人間の作り出したルールなんて、まだその程度のレベルなんだ」紅子は腕組みをして、天井を見上げる。
「テレビの時代劇なんか、主人公が悪者を切り捨てるけれど、あれも殺人だよ。あれは、正義かな?
 大衆は、良い殺人と悪い殺人がある、なんていう作りものの価値観を見せられて、それを信じている。完全な妄想。完全な洗脳。とても大きな間違いだと私は思うな。危険な思想だとさえいって良い」






「殺されたくない」という自己の欲求から「殺してはいけない」という他者への禁止に行けるのかどうか…どうなのでしょう
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