桜の香りを散らした部屋を思い出して
知らないところでひっそりと暮らす自分を考える
それはわたしを慰めることだった。
将来の私ではない、わたしとは交わらない私を思う時は、自分以上の自分になれる気がした。
「ほんとうの自分」とか「真の私らしい私」なんて、自分の内部につくりだしただけの幻想なんだよというささやきも脳の中にはある
誰でも、自分の中に弱さや醜さや邪悪さを抱えていること
誰も憎まず、誰も羨まず、誰にも欲望を抱かない人間などこの世に存在しないって知識はある
だからこそ、私ではないわたしを考える事に悦びを感じるのだと思う。
写真の中で見たことがあるような風景
つぎはぎの断片
季節が過ぎるように自然に生きていきたい
大切な人にだけ
ほんとうの名前をおしえるの。