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カルプス・アルピス






生まれてきたからには
誰もが、何時かは
どんな形であれ、
死ぬ。
でも、誰も何時どのような形で
死ぬのかは予測できない。
マシンガンで身体中を
蜂の巣にされても
一命を取り留める人もいれば
いつも健康に気をつかっているのに
偶々散歩中に落雷に打たれて
死んでしまう人もいる。
末期癌と宣告され
手術をしても助かる見込みはないのに
不思議な身体の治癒力で
癌が消え去ってしまうこともあれば、
風邪を拗らせただけで
あっけなく死んでしまうことだってある。
この要素と
この要素と
この要素が重なった時、
生は死に移行するという
法則や式はないんだ。
死は誰の意志でも司れない。
或る者を殺そうとして
毒薬を盛っても
死なないものは死なない。
難病を克服して
生きていける悦びに
小躍りした刹那、
車に轢かれて即死することもある。
人の眼には
自然に映ろうが
理不尽に映ろうが
どんな状況であれ
死ぬときは死ぬんだ。
つまり、すべての死は
最終的に不慮の事故なんだよ。
人が皆死に対して理由を欲するのは
残された方の痛みを
少しだけ和らげるのに有効だからだ。
何故、長年かわいがってきた象に
踏み殺されなければならないのか、
何故、まだ将来がある若い身でありながら
無差別殺人に巻き込まれ命を
落とさなければならなかったのか。
そこに
どんな
意味があるんだ。
人は考える。
意味なんてない。
だって死は平等に事故なんだから。







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