──同時刻。

「そういえば、」

思い出したかのように、玄関扉に背を預けている闇を纏った男が、話を切り出した。
豪奢な飾りのついた姿見、その前に立つ純白の魔術師は、彼の呼び掛けに生返事を返した。
どうやら、鏡の向こうに魅入ってるらしい。
だが儀式屋は構わずに話を続けた。

「今回の願い…やけに大きなものだったね」
「んー…そうだねぇ。久々の大物で、思わず僕も張り切っちゃったよ」

にこり、とサンは笑顔を作ってみせた。
徐々に機嫌が治ってきているらしい。
頭の片隅でそんなことを思いながら、相手の言葉に儀式屋は眉間に皺を寄せた。

「張り切った?……貴方は彼が裏切らないというのかな?」
「もしもの時は儀式屋クンが罰してくれるんでしょ?」

その回答に、ますます渋い顔になった彼をサンはくすくす笑った。
小さく謝罪の言葉を口にすると、やれやれと儀式屋は溜息を溢した。

「でもどっちにせよ、こっちも全身全霊を込めて迎えなくちゃだよ?だから、ね」

そう言いながら、おもむろに鏡の中へと手を差し入れた。
硬質さを忘れるほどに滑らかな動きで、暫くして何の障害も感じさせず手を抜きだした。
と、その手には最前までなかった袋が握られていた。
パステルカラーのそれを、まるで大切な宝物のように抱えると。

「ありがとう、僕!間に合わせてくれたんだね」

そう彼は、鏡の中の自分へと語り掛けた。
常識的に考えれば、そんなことをしたところで、全くの無意味である。
だが──

「いいんだよぉ、僕の仕事は、僕が受ける心の痛みなんかより数段楽だもの」

鏡の中のサンが、そう返してきた。
こちら側にいる魔術師は、一言も喋ってはいない。
双方が対称的で同じであるはずなのに、個々に性格を持ち、違う動きをする。
それは、非常に不思議な光景だった。

「じゃあ僕は寝るね、それ作るのに徹夜しちゃったんだぁ…おやすみ僕」
「うん、ゆっくり眠ってね。おやすみ」

欠伸をして緩く手を振ると、一瞬にして鏡には何も映らなくなった。
サンは暫し自分を映さない鏡をじっと見つめていたが、やがて彼を待つ男の方を見た。

「じゃーん、これ、凄いでしょ?」
「何が入っているのかね?どうも、甘い香りが…」
「ビスケットだよぉ、儀式屋クン」
「……ビスケット?」

満面の笑みでサンが袋を開けると、確かに甘菓子が入っていた。
トッピングまで丁寧にされたものが、いくつも押し込まれている。

「ぴったりの物だよね、儀式屋クンもそうでしょ?今回の思いはすっごく強力だから、ね?」
「……ふっ」

死者の色をした顔の中で、口角が持ち上げられた。
この銀髪の男が言わんとしていることが、容易に理解できてしまった。
儀式屋の笑みに、サンも前髪に隠れた目を弧に描いた。
そして、その袋をスーツのポケットへと仕舞い込む。

「それで儀式屋クン。どこまで進んでるの?」
「……アキが目星はつけたみたいでね…そのうち帰ってくるようだから、その時に詳しく…」
「え?逃亡者クン、帰ってくるの?」

隠された翡翠の瞳が、動揺したように見開かれた。
漆黒の男は、一つ首肯してみせた。
その返事に魔術師は、唇を歪めると腕組みをした。

「……じゃあ、帰って来たら」
「いや、今回は深いところまで入りすぎたから、一度休息に戻ってもらうんだ」
「なぁんだぁ……じゃあいいや」
「おや、興味ないのかな」
「僕は、本当に楽しいことが起こるまでは、遊んでたいだけだよぉ?あ、でも何があったかは教えてね?」
「まったく……貴方らしい言い分だ」

くくっと喉を鳴らすと、儀式屋は背を預けていた扉から離れた。
そして一度、魔術師と視線を絡めると──

「じゃ、行こっか」

その言葉と共に、二人の姿はそこから掻き消えた。