頭の中に際限なく広がる地図は、今ユリアが両の目で見ている光景と寸分の狂いなく重なった。

(こんなとこが、あるんだ……)

ほぅ、と息をつきながら、ユリアは周囲を見渡した。
あの夜以来、一度も『儀式屋』の外へと出たことはなかった。
それに、周囲は殆んど見えていなかったに等しい。
だからこそ、きちんと見えている今、世界が果てしなく新鮮なものとして目に映った。
だがそれは、決して生まれて初めて見た、という感覚ではなかった。
何故なら、そこに広がる景色は──

(これは……現実、世界?)

足元から伸びる道に沿い立ち並ぶ建物は、どこか見覚えのあるものばかりだった。
天高く聳え、見下ろしてくるビルの大群。
その隙間に押し込まれたように、小さな店が軒を連ねている。
そこにある景色は、二週間前に決別したはずの現実世界と、なんら変わりないものだった。
一瞬、胸のうちに強い郷愁が沸き起こった。

(駄目!私は、もう帰れないんだから)

脳裏に甦る記憶を己の意志で無理に消し去ろうとするが、出来なかった。
ありありと思い起こされる14年間の思い出が、ユリアを悲しい気持ちにさせていく。
顔が熱い、視界がぐにゃりと曲がる、呼吸が苦しい。
ともすれば流れ落ちてしまいそうなそれを、ぐっと下唇を噛み締めて俯き堪えた。

(これは…罰……なんだ)

ふと、思い出したその事柄。
この二週間近く、すっかり忘れてしまっていた。
あまりにも『儀式屋』の人たちが優しすぎて、此処にいる意味を忘れていた。

自分が此処にいるのは、サンとの契約を破った故の、罰なのだ。

アリアを始め、誰もが温かくて優しく接してくれるから、罰だなどと到底思えるはずもなかった。
こちらへ来る前と変わらず、徐々に笑うことも出来るようになってきた。
仕事もこなして行くうちに慣れて、ユリアの生活の一部と化してきていた。
だが、どれほど今が楽しくとも、ユリアのことをずっと前から知る人間は、一人としていないのだ。

だからこそ、この光景を見たことによるショックは大きかった。
元いた場所には、決して戻ることが出来ないという現実に、嫌でも向き合わされてしまって──

(嫌でも、向き合わされてしまう……?)

流れるように溢れ出てきた思考に、急ブレーキをかけた。

今、自分は、何と思った?

(向き合わされてしまう、って…それは、)

それは、この現状から逃げているということか。
途端に、ユリアは自分自身に強い苛立ちを感じた。

あの夜、罰を受けると自分は選択したのだ。
だがもう一つの道もあった──逃げるという選択肢だ。
儀式屋は、ユリアの意志を尊重すると言っていたから、そちらを選んでも構わなかったろう。
それでもユリアは、それを選びはしなかった。
はっきりと、強い意志を持って罰を受ける選択を自らがしたのだ。
今此処で、その現実から逃げているということは、あの夜のユリアを否定することと同じではないか。
それならば最初から、この選択をしなければよかった話だ。
選択したのであれば、その時の自分の意志を貫き、それから逸れてしまわないようにすべきだろう。
そして、何よりもこの選択は大切な人のためでもあったことを、ユリアは忘れていない。

(だから、此処で目を逸らしちゃ、駄目…現実を、受け入れるの)

唇を噛んでいた力を弱める。
深く息を吸い込み、ゆるゆると吐き出す。
真直ぐに上げた顔は、凛とした強さを兼ね備えていた。
黒曜石の瞳に迷いはなく、ただ現実をしっかりと見つめる。

(大丈夫、もう迷ったり、逃げたりしない)

脳裏を過る懐かしい少年の顔を最後に、ユリアは思い出に蓋をした。
それから、主人である儀式屋の命に従って、少女は力強く歩きだした。

今此処に立つ少女には、もう、数分前の面影は一切見当たらなかった。