低く振動する音が、静謐さを保つ世界に何処までも広がる。
がこがこ、煉瓦がタイヤに踏み付けられる。

「…そんな馬鹿な」

フロントガラスがなくなり、やけに風通しの良くなった車内。
ジュードの声が、疑問を投げ掛けた。

「……いんや、マジだ。あのままミュステリオンの奴らと戦ってたら、やばかったんだよ」

それに答えたのは、ハンドルを握るひょろ長い悪魔だ。
ですよね?とバックミラー越しに、サムは若き当主に確認する。
それに少年が小さく頷いてみせれば、隣の巨漢は唸り声を上げた。

「しかし…」
「まぁよ、Jの言うことだからあんま確証はねぇ…だが、嘘じゃねぇだろうよ」

ハンドルを切り、角を曲がる。
その路地にも、誰もいない。
ただ昼下がりの日差しが、無意味に降り注ぐばかりだ。
見慣れた街並が、何故か薄気味悪い。

「……俺は、あの男を疑うつもりはない」
「あーそう?それならそれでいいけどよ」

ジュードの言葉にサムは軽く返事を返した。
だが、運転している彼は気付かなかった。
巨漢の男の顔が、難しいものになっていることに。

「ジュード、どうかしたの?」

代わりに、隣に座る少年が尋ねてきた。
瞳が不安そうに、ゆらゆら揺れている。
ジュードはそれに対して、何でもないと首を横に振ってみせた。
しかし、彼の意識はマルコスには向いていなかった。

(疑うつもりはない…だが、胸騒ぎがするのは何故…)

その答えは、現時点ではついには見つからなかった。






「流石、残酷なことがお好きなミュステリオンだ!」

とは、三度目の攻撃を受けた時だった。
横に薙ぎ払われたメイス、それをひょいっとしゃがんで躱し、ついでにシスターへ足払いをする。
耳障りな舌打ちの音と共に、地をブーツで蹴り付けエリシアは後退。
Jは立ち上がるが、今度は左右から計四つのチャクラムが向かってくる。
さっと見てから一瞬で判断し、届く前に彼は前方へ転がり込んだ。
そして隙を見せぬ間に、すぐに振り返る。
と、鋭利な視線とぶつかり合った。

「……今更、貴方が言うべき台詞ですか」
「少なくとも、去年俺のところへ来たシスター・ジェニーは先に選択肢を提示してくれたけど」
「……ああ、ジェニーは優しいからのぅ…それに、あの子は元々全異端管理局の子でない。事務職の子だ、マニュアル通りにしか出来んよ」
「どうりで、君と違って可愛かったん」

彼の言葉と同時に、痛ましい音が響き渡った。
Jが、左腕で乱暴に振り下ろされたメイスを受けとめた音だ。
ひゅうっと、彼は口笛を吹く。
だが顔は、決して笑っていない。

「ん?俺にこれは効かないって知っててやるってことは、怒った?」
「……汝に問うてやる。その血をおとなしく受け渡すか、それとも戦い血を流すか、選ばせてやろう」
「く…ははは!」

そして、急に破顔した。
高々と、暗い世界に哄笑が何処までも、何処までも。
が、それも直ぐに収まれば、メイスを反対の手で掴み一気に引っ張り寄せた。
奇抜な彼は犬歯を剥き出して、彼女の耳元で囁いた。

「馬鹿じゃない?俺は、本気で来いって言ったんだ…それこそ、今更すぎる」
「っ!!」

掴んでいた手を離し、素早く鳩尾に拳を見舞った。
エリシア自身、予想をしてはいたようだが、軽く入ったらしかった。
受け身を取り、サキヤマの側まで下がる。
体勢を立て直すと、今までとは違う、本物の殺意を込めた視線が、Jを貫いた。

「……薄汚い吸血鬼よ…汝のその血を恨むがいい。聖裁における汝ら吸血鬼の取り扱いは、殺さずその血の一部を余らが回収する…つまりだ」

エリシアはメイスの先端、装飾品を掴む。
その過程をサキヤマは、やや目を細めて見守る。

「今、汝を半殺しにすることは、許される!」

きゅらり、外れたその先を見て、Jの顔は俄かに硬くなる。
そして此処に来て、初めて彼は困ったような声を上げた。

「あーあー…怖いもの、持ってらっしゃるようだ」

メイスの先端に現れた、細長い刃が鈍色に光っていた。