(……大分…マシになったか)

ほんの少し埃っぽい空気を吸い込んで、吐き出した時に走った痛みも、今では微々たるものだ。

あのシスターのメイスの本当の恐ろしさは、ここにある──悪魔の再生能力を一時的に遅らせる、それ。
それは、悪魔にとって驚異的な毒物である“聖水”を織り交ぜた武器である、という証。
これを現実世界で浴びれば、ひとたまりもない。
何故ならば、悪魔は現実世界では実体を持たない─悪魔は現実世界に於いては時折召喚されることがあるが、その時に現実世界に現れるのは悪魔自身ではなく、弱々しい召喚主の用意した仮初めのもの─ためである。
実体のある精神世界であれば、ある程度の抗体はある。
それでも、暫くは動きが鈍くなるデメリットが存在する。

そうした経緯で、今までジュードはろくに動くことも叶わず、じっと廃材の裏で息を潜めていたのである。
ゆるりと腹を撫でつつ、ぼろぼろの壁を伝い立ち上がる。

(しかし…何故…)

汗に塗れた顔を、やや不快げに顔を歪めて、思い出すはあのシスターに止めを刺されそうになった瞬間。
あまりの激痛に、意識が吹き飛びそうではっきりとは覚えていない。
唯一分かることは、誰かが自分を助けたということ。
そしてその誰かが、ミュステリオン同様に脅威である存在の、革命派の悪魔だった。

これほど不愉快で不可解なことは、ない。

「何故だ…?」

疑問を口に出してしまうくらいに、理解の及ばない事象。

何故、わざわざ自分を生かしたりしたのか?
全くの意味をなさないのではないか?

ぐるぐるとジュードの思考は旋回し、途中で逆方向へと展開した。

(若は…!?)

自分は生きているが、此処には現在あのシスターも悪魔たちもいない。
ということは、自分の主であるあの少年に危機が訪れている可能性が、ある。
こんなところで、佇んでいる場合などではない。

巨漢の彼は廃材の陰から出ると、そのまま表通りへ出ようとして──それは、彼の予想を越えた形で阻まれた。

「今日和、ジュードさん?お迎えに参りました」







それは、大変エリシアを不機嫌にさせた。
彼女は廃材の一部を、思い切り蹴り飛ばす。
派手な音を立てて、木片が辺りに飛び散った。

「何故だ!何故居らぬ!?」
「シスター・エリシア、落ち着いて下さい」
「サキヤマ!余はあの薄汚い害虫に、これほどまでに侮辱されたのは初めてだ!」

今度は右手の凶器を振りかぶり、古びた建物の壁を抉る。
がらがら、砂埃と共に壁にはエリシアの怒りに比例して、大きな穴が空いた。
その行為に、神父は特に何も言わなかった。
ここまで荒れた彼女を止めたりすれば、被害はこちらに及んでしまう。

「……シスター・エリシア、確かに貴女はその悪魔に傷を負わせたのですか」
「当然だ!余のメイスを腹に見舞ってやった…汝も知っているだろう、この一撃を食らえば、そうそう動けはしないと!」
「えぇ、ですから疑問に思っているのです」

わぁわぁと喚き散らす彼女に、何度か頷いてみせ、それから引っ掛かっていることを告げる。
ぴたりと口を閉じれば、意味深な視線で彼を見つめ。

「何だ、申せ」
「貴女が攻撃をしてから、約半時間は経過している…ということは、その悪魔からも聖水の効力は抜けてきていることになります」
「ああそうであろうな」
「ですが、それでも妙です。逃げるとしても、この場所からそう遠くへは行けるとは思えません。なのに、全くそれらしい気配がありません」
「……汝の“それ”の正確さ、狂いがないことを余は知っている。では、何か?汝はつまり、奴を助けた者がいると?」

些か訝しそうに目を細めながら、エリシアは問い掛けた。
えぇ、とサキヤマ。

「更に言えば…僕と同等の考え方を展開でき、尚且つ先を読んだ相手が存在する、ということです」

エリシアの顔が、険しいものに変化した。