せっかちな主に連れられたのは、一つ上の階にある部屋だった。
ミュステリオンの保管室同様、厳重に施錠がなされている。
だが、先程アンソニーが指示した通りにダイナが解錠してくれているため、彼は扉を引いて開けるだけで十分だった。
真っ暗闇の中へ、二人もアンソニーに続いて中へと入った。

(寒い……)

入った途端、まるで冷凍庫に入ったかのような寒さを感じた。
半分以上腕が出た服では、此処に長居するのは不可能だと思われた。
ユリアの手は、無意識のうちにヤスの温もりを求めて引っ付いた。
不意にくっついて来たユリアに、ヤスはぎょっとして見た。
小さく震え自分の温もりを求める少女を見ているうちに、ヤスはユリアを抱き締めたい衝動に駆られた。
が、それを上回るほどの理性が総動員され、回し掛けた手を下ろした。

(何考えてるっすか俺は!)

落ち着けと言い聞かせて、それから彼はユリアの名を呼んだ。
こちらを向いた少女に、ヤスは自らの上着を脱いで差し出した。

「俺のジャケット、羽織っとくといいっすよ」
「え、でも……」
「いいっすいいっす」

渋る少女を遮って、ヤスは肩に掛けてやった。
ユリアが羽織ると、ヤスのジャケットもハーフコートのような長さだ。
ヤスより小さな手が服の前を合わせると、笑顔と感謝の言葉が向けられた。
それだけで、ヤスは体温が数度上がった気がした。
と、今までほぼ視界が闇に覆われていた世界が急激に白く光ったため、二人は思わず目を閉じた。

「もう開けて構わんよ……見えるかね?」

アンソニーがそう言ったので、二人は目を開けた。

花、花、花。

どこもかしこも花で溢れていて、その様は女王の庭と重なって見えた。
ただし、香りは一切しなかった。
呆気にとられて眺めていると、アンソニーが語り出した。

「彼が十六区の件以降、これまで集めた花だ」
「こんなに……」
「恐ろしい量だ、この全てに魔力が一つ一つ宿っているのだからな。この部屋が寒いのは、その魔力の影響だ」

アンソニーの説明を聞く傍ら、ユリアはこの中にあるだろう自分の花を探していた。
探しながら、そのことがもう何年も前のことにユリアは思えた。
はっきりとした月日をユリアは数えていなかったが、まだ半年も経っていないはずだ。
なのに昔のことに思えるということは、それだけこちらに自分が染まってきたということだろう。
徐々にこうして、忘れていくのだろうか。
ヤスの上着を握り締め、ユリアは花の群から目を逸らした。

「当時に比べたら、遥かに少ない量だ。だが、儀式屋の力が加われば、互角だろう。一刻も争う時になれば、奴は必ずこれを使うはずだ」
「しかし旦那、よく預けたっすね」
「私の館はミュステリオン以上に安全性は確保されている」
「そうじゃなく、あんたがこの力を使うって思わなかったんすかねって」

やや疑惑の目を向けて、ヤスは尋ねた。
管理しているとはいえ、その間は自分だけのものなのだ。
これだけ魔力の塊があれば、使いたくなってもおかしくない。
が、アンソニーはにやりと笑いながら首を振った。

「私は力に興味はないのだよ。私の興味は唯一この世界に散らばる美術品だけにある。力は必要ない、あってもこんな恐ろしい量、御すことなどできない」

異質の花畑を、彼は薄気味悪そうに眺めた。
静かにそこにある、夥しい花。
色とりどりで、そこにまとまりはなく、綺麗とは言い難い配色だ。
だがそれは、言い換えれば花に秘められた本性を誤魔化しているにすぎない。

「……此処に長居は危険だ。そろそろ出よう」
「どうして危険なんですか?」

花の群れに背を向けて外に出るよう促した彼に、ユリアは問いかけた。
自然と見上げたライトグリーンの瞳には厳しい色が宿っており、ユリアは脈が僅かに早まったのを感じた。
だが彼が瞬きをした後、その色は消え失せて面白がるように細められた。

「気付かぬうちにあれの一部になりたくはあるまい?」

にやりと怪しく笑った男は、固まる二人の背を押しやり、扉の外へ向かった。