ベンジャミンが黙っている間にも、副局長アンリは彼を糾弾する。
糾弾される側の髭の神父は、電話を介しているというのに、目の前で言われているような気分だった。

「忘れたのですか。あの男は、我々全異端管理局の唯一の汚点であり、ミュステリオンの脅威となる存在です」
「…………」
「あの男は許し難い大罪を犯したのです。特に貴方は、覚えているはずですが」
「…………」
「これが情けでないならば、貴方をとんだ腰抜け神父と呼ぶほかありません」
「……アンリ、お前は賢い男だ。だったら分かれ、今のあいつを殺すことは得策じゃない」
「えぇ、そうでしょう。ですがそれとこれとは……」

と、そこでアンリの声が途切れてしまった。
アンリ、とベンジャミンが呼び掛けるが返答はない。
耳を澄ませば、どうやらスピーカー部分を手で押さえているらしかった。
くぐもった声が微かに聞こえるが、はっきりとは聞き取れない。
暫くは黙っていたが、長針が一つ動いた頃には、流石に不安が募ってきた。

「……おい、アンリ?」
「やぁベンジャミン。残念ながら、アンリじゃなくてすみませんねぇ」
「っ、局長!?」

思わず彼は大声を挙げてしまった。
鼓膜を叩いた掴み所のないような声は、異端管理局長その人のだ。
途端にベンジャミンは、目の前にいないにも関わらず、背筋をしゃきっと伸ばした。
それが想像出来たのか、電話の向こうの人は声を立てて笑った。

「ベンジャミン、そんな改まらなくても構いませんよ」
「局長にはお見通しのようですね」
「ルイで結構ですよ、いつものようにして頂けた方が、こちらも話しやすいですし」
「……ルイ、その、アキの件だが」
「彼は元気でしたか?最後に見たのは、確か200年前でしたか」

穏やかな声の問い掛けに、ベンジャミンは遮られた言葉の続きを飲み込んだ。
ぐっと下唇を噛み締めて腹の奥底へ仕舞い込むと、ルイの問いに彼は答えた。

「ああ、相変わらずだったよ」
「それは良かった」
「なぁ、ルイ。俺は……」
「ミュリエルは彼を知らない、エドも知らない。アキを知っているのは、貴方だけです」
「……確かにそうだが、」
「今回の報告で重要なのは、エドが悪魔と共謀しミュステリオンを裏切ったということ。しかしそれは儀式屋の人間の協力なしには、防ぐことは出来なかった……それでいいでしょう?」
「…………、ルイ」

僅かに彼の声が震えた。
局長が告げたそれは、甘過ぎる自分の考えを肯定するものだった。
アキがかつて犯したことを、忘れてはいない。
彼が仕出かしたそれは、ミュステリオンに莫大な損害を被らせた。
以来、アキは悪魔の次に危険視される存在となった。
ゆえにアキと一緒にいる所を誰かに見られては、それだけで大事なのだ。
だからアンリが言ったこと──その場でアキを始末することは正しい。

「副局長は、ベンジャミンを心配して言っているだけですよ。何も深く悩むほどのことじゃありません」

そんなベンジャミンに、ルイが諭すように優しく声を掛けた。
ベンジャミンは目頭や喉へとせり上がる熱いそれを一瞬にして感じ、だが必死に抑え込んだ。

「……すまない、ルイ」
「でも気を付けて下さいね。今回はたまたま好条件が揃っただけ。次回あったら、庇いきれないと思って下さい」
「了解」
「では、私はこれから会議に参加しますので、これで」
「ああ、……有難う」
「どういたしまして」

きっと微笑みを浮かべながら電話を切ったろうルイに、ベンジャミンはもう一度心の中で感謝の言葉を述べた。



「……どういうおつもりで?」

携帯電話を返却されたアンリが問い掛けた。
作り物かと思う程に表情を欠落させた横顔は、既に扉に向かい歩き出した背を睨んでいる。
それに対して、鳶色の髪を翠玉色のベレーの下から覗かせる彼は、立ち止まりも振り返りもせずに答えた。

「ベンジャミンを責めて、何の得があるというんです?」
「局長、私は決して彼を守るために言ったのではありません。私は、貴方のために言ったのです」
「えぇ、分かっていますよ。間違いなく正論です。アンリの正しさに救われてきたことは計り知れません。…ですが、少々直情すぎるのが玉に瑕です」
「────」
「それよりアンリ、急ぎますよ。会議に遅れては、それこそ我々の質が落ちます」
「……承知しました」

眼鏡の奥に嵌る闇のような瞳は、物言いたげな色を宿したが、瞬きした後には何もなく、ルイの背を追い彼は翡翠の絨毯を踏んだ。