新緑が綺麗で嬉しくなります。
前の記事に引き続きのような内容
もちものをふやすということは、ほんとうにおそろしいことですね
とスナフキンも言っていたし
物質的にも精神的にも、あれもこれも欲しくなる。
物欲は限りないと思っていたけれど、何かが買えることを実感したかったのと何も考えていなかったというのが原因
知識があるのも大事だけど、それより何も無い状況から考えられるってことが大事なんじゃないかって思います。
自慢に入るけれど私、物知りだって誉められることが結構あって
あってというかあった…かわざわざ思ってることを言うのが面倒だからここ一年くらいすごい無口
何かを教えるのって、優越感を得たいんだなあって気付いてからなんとも…そう考える私が浅ましいのかな。
最初は純粋に、博識な人って格好いいってところから始まって、色んなことを覚えようとした。
でもそれって裏返せば自分が格好いいって思われたいだけなんじゃ?
格好いいって思われたいのが駄目なのか?
教えるのが優越感に繋がらないで誰かのために、とか慈愛に満ちた人もいるかもしれない。
教えるに話がそれたけれど
知識について、あればある程良いと思っていて、それは脳の許容量が果てしないっていう自負からだったのかな。
記憶力が無限にあるなんて思ってないけれど、欲張りなのは適量が分かっていないからだと思うし。
自分の屋根裏部屋に選んだ家具を入れるつまり覚えたいことを覚える、には訓練なのかな。
確固たる意思とか決意が必要なのかもしれない。
何でこんなこと覚えてんだろってなるようなものも、覚えたいと思ったのか?
何が有用なのかを決めるのも難しい。
物質でも精神でも何も考えていないのかもしれない。知った風な口をきくだけで。