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生きてるのって楽しいかい?


ふと、ある日を思いだした。

一緒に死のうと言ったあの子。


私はそうしようと同意する前に、どうやって死ぬ?
って聞いたと思う。
自分の悩みはすごく大きくて、すぐ死にたいと思っていた。
悩んでいる自分に酔っていた13歳。



中学時代にはそう、思春期。
その気持ち特有の、後から見たら恥ずかしくて痛い思い出なんだけど、結構みんな悲劇のヒロインを演じていたと思う。自分のことで精一杯で、狭かった世界。
YESかNO。
答えとか理由が出るものしかないと信じていた。
そうじゃないと薄々感じていても、正解が欲しかった。

消えたい。と甘えたことばっかり言っていたんだと思う。
短絡な発想しかできなかった。(今でもそうですが…)


みんな悩みを抱えながら生きていくのに、悩んでいる自分に自己陶酔。
人や、周りや、自分や、世界を何も知らなかったから。
考えるということを知りませんでした。




そんな中学時代、時間と共に少しずつ友達も増えました。
特に仲良くなった子はみんな死にたがりだった。



20歳の前に絶対自殺すると断言した子。
大嫌いな人を道連れにしたいと言った子。
一番楽な方法で自殺したいと言った子。
家族を殺してから自殺すると言った子。


私は死にたいとか表にだすことが恥ずかしいと思ってたから、誰かに相談したり、自分がそういう心境なんだということは言ったことがなかったけど、私の周りにはそういう子が多かった。
自分を傷つけることでしか、何かを伝えられない子達だったんだと思う。
理由はなんであれ、かなり本格的な自殺を考えてた子達。



机を投げたり、薬を大量に飲んだり、有言実行で私は驚いた。
親がお金を弁償することになるからもったいない。
そう思っていた私はとくに何もできなかったけど。


みんなで死のうというわけではなく、
その子達はそれぞれ別の時期に仲良くなる。
2人でいるときに「死のう?」って誘われてた。




最初に書いたあの日は、肌寒い日曜日だった。
薬を大量に飲むという計画。



詳しくは書かないけど…
というかかけない。
あんまりおぼえてないから。

ただ、家をでるときに
自分の持ち物とか、もう使ったりすることはないと思って、今までの人生はなんだったんだろうと思ったと思う。
友達とか、家族のことは考えたのかな…
考えてないかな…
お金のことを考えたんじゃないかな。お葬式とか。
でも今までの人生、必死に働いて、私のためにお金をつかってくれて
ごめんなさいと思った。



結果は、失敗のリスクを考えて
私が相手を説得したような。

他の3人の子はまた別のお話。







私にだけ見せる弱さだと思っていたから。
そういう話を私にしてくれることで、それが私の存在理由になっていたのかも。
誰かの特別でいたかった。
生きる意味ばかり考えて、「お前はいらない」
って思われるのが嫌だった。


依存っていう関係が嬉しかったのかもしれない。
「絶対」とか「永遠」って言葉が大好きな年代。
壊れるものがみたくなくて、何かにしがみついていたかった。
変わっていくものが怖くて、世界とか自分がどうしても無意味なものにしか感じられなかった。




こういう経験で今の自分があるという考えは、もちろんその時にはできなかったわけで。
悩んでいるとずっとそのままなんじゃないかと思ってしまう。

誰にも傷がつかないようにと



前回の「7だけが孤独」の理由


1から10までの数字を二組に分ける。
両方ともグループの数字をすべてかけ合わせる。


2つの積が等しくなることはない。なぜなら片方のグループには7があるから。
7がないと
1×8×9×10と2×3×4×5×6

は等しくなれます。






7を使う話


3つの数字を思い浮かべて紙にかく。
例)567

その3つの数字を横にもう一つかく。
例)567567


その6桁の数字を7で割る。


それは必ず割り切れる

というお話。
マジックで使われたりしますよね。
あまりを当てるとか、あまりの数だけお札を何枚あげる。など。



たしか3つの数字を連続で書くと、
1001をかけるのと同じことになり、
7は1001の約数だから
みたいな話だったような違うような。


2桁を2つではできなくて、次は何桁だったかな…
1000000001くらい?
たしか大きい数字で約数も113とかだったので
それだとネタがばれてしまうし時間がかかるから、3桁を2回が便利だと思います。
時間のある方は、いろいろなパターンでやってみてください。




  




  




  




今日はお昼にカレーを食べに行きました!
明日は午後全部数学だけど、今のとこ好きだから楽^^
それよりデボラのクラスがこわい
2ヶ月2週間ぶり…。

7は孤独な数




身近に9月生まれの人が多い気がします。毎日いるんじゃないかというくらい…それは大げさなんですが。
わたし、気分的には13歳。



体は成長しても中身は変わらず、むしろ退化している気がします。考え方も生き方も、小学生と変わらない気がする。甘え具合も、怠け具合も。


怠け具合から言ったら、小学生の方ががんばっていたと思います。スポーツをやっていたから。

今は手を抜くことと、やらないという選択肢を手に入れたから、何か自分からやらなければ何も残らないです。がんばろう。時間はどんどん過ぎるので、目の前のことからやっていきます。


と言葉にはするけど実行はできない。歳をとって言い訳や自己保身の言葉なら、言えるようになったかもしれない。

自分の未熟さに絶望したり、未熟さに気づけなかったり。そんな今年ともそろそろさようならです。






 






数字から、ある話を思い出しました。


「数字の中で、7だけが孤独」




理由は次の記事にでも書きます。考えればわかることなんですけども。

そういえば、前友人に何考てるの?と聞いたら「素数数え」と言われて、爆笑した記憶があります。文学部の女の子だからギャップに。7も素数ですね。


他の人に聞いて「特殊相対性理論」って言われてそれもびっくりしました。

ぼーっと考えごとをするにも人さまざまで、感心します。


何をやっても面白くないのはなぜか

何をやっても面白くないのはなぜか



それはたぶん、最初から
「面白そうなこと」しかやらないせいだろう。

或いは
「(有形無形の)成果が得られると予想できること」
といい換えてもいい。


目的をもって行動し
結果を得ることばかりに
ぼくたちは慣れ過ぎてしまったんだと思う。


それは要するに
先が見えていることしかやらないということだ。
もっというなら、行き着く先に
「報酬」やそれに類するものが
解りやすい形でなければ動かない。
無駄を嫌う。


「泣ける」映画を観に行ったり、
「儲かる」仕事を探したり、
「モテる」ファッションに身を包んだり、
「面白そう」という言葉の向こう側に
誰にも解りやすい形の見返りを期待している。
だから、それらが得られないと「面白くない」。



それだけじゃない。
期待したものがそれなりに得られても、それほど面白くはないだろう。
当然だ。
何かが得られることを
想定して行動しても、
成果が当初の期待を超えることはまずない。
良くて期待通り。
実際には、それすら稀だろう。


つまり、先が見えている段階で面白さは頭打ちなのである。

「本当に面白いこと」は予想できないものだし、
予想できないからこそ面白いのである。


そして、
本当に何かを愉しんでいるとき、
人はその先にある「成果」を目的とはしていない。


「成果」は愉しんだ結果、ついてきたりこなかったりする。
「面白さ」と「成果」に強い相関はない。


とはいえ、人は「ご褒美」に弱い。
いい成績をとったら親に褒められた。
あまつさえ、お小遣いまで貰った。
すると、今度は褒められるために、お金のために勉強をするようになる。

もちろん勉強の「面白さ」はご褒美にあるわけではない。
それは、知る前と後で世界が違って見えてくる快感であり、よりよく生きるために積み上げられていく哲学であり、一所懸命にやったという経験がもたらす充実である。
けれども、それら迂遠な悦びは
ご褒美の端的な解りやすさの前に簡単にかき消されてしまう。
といって、ご褒美に満足することもまた難しい。
無限の不満だけが燻り続ける。



「何のためになるのか」も、
そこから「何を得られるのか」もよく解らない。
たぶん、そういうものの中にこそ「本当の面白さ」はある。



何も難しいことじゃない。
ご褒美を忘れて
すべてのものを見直してみればいい。


ファッションの愉しみが「モテ」だけである必要はないし、仕事の愉しみが「お金」だけである必要もない。


ぼくたちは「価値があるのかないのかよく解らないこと」として
色々なことを一所懸命にやってみればいいんじゃないかと思う。
何かのためではなく、それ自体を一所懸命にやる。
原理的に「本当に面白いこと」が予測できない以上、そうするしかない。


お金や他人の評価みたいなものは、
一所懸命にやっても適当にやっても
達成した「成果」が同じなら原則として同じだけのものを得られる。


けれども、自分がよりよく、より面白く生きるための糧という意味では、おそらくまるで得るものが違ってくる。

それは誰にも評価なんてできないし、
解りやすい価値に置き換えることもできない。


いずれ、「本当に面白いこと」は
「何をやるか」ではなく
「どれだけ一所懸命にやるか」
の問題なんだろう。
陳腐な結論にも真理はある。
曰わく

「面白くないから一所懸命になれないのではない。
一所懸命にならないから面白くないのである」


ちなみに「面白くない」の部分は
「意味がない」や「価値がない」にも置換可能だ。





diary.lylyco.com

楕円のサイクル



肌が痛いです…。1日で一番暑い時間帯に外で踊るとは何事(笑)




昨日テストをしていて私は、日本語を勉強するべきだと思いました。漢字や語彙など…あと使い方というか、何て言ったらいいかわからないけど、日本語力。喋るときもおかしいし、文にしてもおかしい。助詞とか敬語が変とはわかるけど、何か根本的に違う。受け取り方?考え方…?


話をしていて(日本語で)、かみ合ってないこと言ってしまった!となることもあるけれど、それにすら気づかないこともある。とにかく日本語のできなささが異常。





そのテストのあと、どこで暇をつぶそうか考えながら、小走りで角を曲がったら階段からデボラが降りてきていて、かなり近くにいてびっくり。


目があって、Helloと言おうかGood-byeかとか考える時間もなく、走っていた足も止められずすれ違いました。そのとき彼女が私に向けてすごい笑顔で、女神かと思いました(本当に)。


デボラはトリニダード・トバゴの黒人の女性てぃーちゃーで、背が高くて、学校にいたりいなかったり途中で帰ったり、成績を130点とかつけたり、怒るとこわい。


そのスマイルが衝撃的で…普段こわいからとかではなく。こんな表情をできる人がいるんだな、と驚きました。心にズキューンと、嬉しくてくすぐったい。こう影響を与えるってすごいです。




 


“For beautiful eyes, look for the good in others;for beautiful lips, speak only words of kindness;and for poise, walk with the knowledge that you are never alone.”

-Audrey Hepburn