昨日から、道の駅巡り。
岩手の旅を始めました。
本当はDC号に手を振ったり、お世話になっている人の少林寺の大会の応援に行こうかと思っていたのですが(花束を贈ったのですが届きましたでしょうか?)、気持ちを切り替えようと思いまして日帰り強行。
我ながらよくやるもんだと思いました。
でも最近、道の駅巡りが本当にストレス解消になっています。
新しい、見た事の無い場所を自分の目で見るのと、高速道路を無心に走るのは気持ちがいいです。

昨日の記事にも書いた通り、岩手の旅の最初は私達を何度も励ましてくれた奇跡の一本松から始める事に決めていたので、前日の夜に宮城まで行って、翌朝東北道から、仙台南部道路、三陸道を通って大谷海岸から北上。
陸前高田に行きました。
昨日の東北は雨が酷かったのですが丁度、私が行った時間は雨が小降りで傘なしでも歩けるくらい。
駐車場の一本松茶屋に車を置いて、徒歩15分ほどで奇跡の一本松に着きました。
なんとなく、初めて会ったのに、ずっと前から知っていた友達と再会したような、そんな気分になりました。
奥には被災したユースホステルがあって、当時の様子を今に伝えます。
私は、その前で写真を撮る前と、撮ったあと、手を合わせました。

この木が当時のもので無い事も、保存に賛否両論いろいろあってこともよーく解っています。
でも、道の駅巡りをしていて改めて思ったのですが、原発事故に私たち自身気を取られがちですが、あの3.11 東日本大震災の被害の本質はやはり津波です。
震災から4年を経てもなお、被害の爪痕は沿岸地域に色濃く残っています。
だって、この近辺、本当に何にもないんですよ。
盛り土や、工事中のベルトコンベアーはありますけど。震災前のものは本当に。
周囲見渡す限り何もないかつての陸前高田の町と高田松原。
2000人以上の人命と、町を失った絶望の中で、たった一本残った木に人々がどれほどの希望をかけたのか。
やっぱりこの場に来ないと、本当には解らないのかもしれないと思いました。
ちなみに私は保存を肯定します。
もしかしたら、この木もみんなと一緒に逝きたかったのかもしれないけれど…、それでも残ってくれたことで多くの人が励まされたし、これからも励まされいろいろな事を考えさせてくれると思うので…ここで復興を見守っていて欲しいと思いました。

その後、岩手の道の駅 2番。道の駅 高田松原 TAPIC45についてはまた明日にでも。


道の駅巡りは山形、宮城もいろいろ書くことがあるのですが、とりあえず先に岩手を。
インパクト色々な意味で大きかったです。