知人から聞いた話ではありますが、割と信頼性はあるかと思います。
久しぶりに長いですがお許しを。

田村市都路町は山間ですが浜通りにほど近く、今回の原発災害による警戒区域と避難準備区域にすっぽり包まれる形になっています。
現在はそのどちらも解除になっていますが、住民の多くは今も市内の借り上げ住宅や仮設住宅に住んでいます。
都路に二つある、古道小学校と岩井沢小学校の子供達はバスで廃校になった旧石森小学校に通っているそうです。
田村市としては都路は避難準備区域も解除され、警戒区域も解除準備区域になっているので来春から学校を再開させる為に学校の除染と、整備を再開していました。
先生方も通常業務の傍ら学校再開の準備をしていたのですが、いざ新年度の準備をという時になって保護者から都路に戻りたくない。という多くの声が寄せられ学校再開の準備がストップしてしまいました。
一番の理由は「危険かもしれないところに子供を連れて戻りたくない」ということらしかったのです。
除染もして表土除去もして安心とは言えないまでもかなり低いレベルまで下がっているのですが、田村市内ではかなり高い方なので嫌だという声が大きく学校再開は延期となりました。
しかし、今度は一刻も早い学校再開と地域のコミュニティの確保をと願う都路に戻った方達からの苦情が出て板挟みになっているのだとか。

都路に戻りたくない。それはまあ仕方ない。しかし、船引や地元の小学校に転校して住所も移して新しい生活をしては、という提案にはまた嫌という返事が返ってきます。
その理由は友達や知人と別れたくないということと、都路から住所を移すと東電からの補償が受けづらくなるかららしいとその知人は言います。
加えて都路に比べていろいろ便利な船引に慣れてしまうと、大型スーパーもコンビニもない都路に戻りたくなくなってしまうのだろう。とも。
現在、都路から仮設住宅に避難された方達は、確かに不自由な生活を送られています。
しかしその分、東電からの補償金がかなりまとまった額入ってきているのもまた事実です。
その為、以前は避難区域の方達とそうでない地区の人達の軋轢はかなりありました。
今は多少なりとも東電からの補償金がそうでない地区にも出たので前ほどではありませんが
「戻れないわけじゃないのに勝手に戻らないだけだろう? だったら、いい加減に避難民でございというのを止めて戻るか新しい生活をするか決めたらどうだ!」
という声はまだあります。
既にそうしている人もいますが、まだ多くの人が戻ることも新しい生活を始めることも決断しかねているというのが現状のようです。


私は…避難されている方の御苦労や御心労を知った上であえて言いますが、どこかで線を引かなくてはならないと思います。
震災からもうすぐ2年。
故郷に帰りたくても帰るという選択肢を選べない方が大勢います。
震災の苦労を比べることはできませんが、それでも田村市では選ぶことが出来る。
戻るか、新しい生活を始めるか。
いつまでも宙ぶらりんではいられないと思うのです。
都路のコミュニティでは一刻も早く地域を再生させたいと願っている。その為には子供や若い力が不可欠で早く戻ってきてほしいと思っている。
地域の為に戻る決断をするのもありですし、不安を抱えて生活するよりは、と新しい生活を始めるのもありでしょう。
どちらを選んでも不安や問題は残ります。
でも、どこかで線を引かないといつまでも復興のスタートラインに立つことはできないように思うのです。

アパートになかなか空きが出ないとかかそういう色々な事情もきっとあるかもしれません。
そんなことも知らないで偉そうなことは言えないのですが、それでも私は以前会った時
「早くおうちに帰りたいなあ」
と言った都路の子供達の声が今も忘れられないのです。