人の平均寿命が大体70〜80年と言われているらしいので、それで考えれば私なんかはもうすぐか、もう折り返し地点となります。
しかし、毎日付き合う子供達の何倍も生きてきた身であっても、いえ、私の倍を生きるお年寄りの方たちであっても今年、2011年は今までに体験したことのない忘れられない年であったと言えると思います。
十七年前の阪神淡路大震災を体験された皆さんもきっと同じであったのでしょう。

3月11日以来、私達の周りではあまりにも多くの事が変わってしましました。
知人に津波や地震で家族を亡くした人もいます。
家を失った人もいます。原発の避難区域に入って家に帰れない人も今も大勢います。
福島県の新聞は3月11日から今年一年、震災関係のことが新聞の一面に載らなかった日は本当に数えるほどです。
でも、全国紙は既に震災の話題が載ることすら稀。
yahooのニュースも頻出トピックに震災の文字も、原発の文字もありません。

震災直後いわき市の市長さんが、
「いわきは地震、津波、原発、風評被害の四重苦に苦しめられている」
と言いました。これからは徐々にそれに「忘却、風化」が加わっていくのかもしれないと思います。
放射能の問題ももう週刊誌の話題にもならなくなってきました。
ですが、何も終わっていないし、本当に始まってもいない。
それが被災地と呼ばれる地の確かな現状でもあります。

紅白歌合戦に出場した猪苗代湖ズの方がこうおっしゃっていました。
「「あと何時間かで新しい年がやってきますが、まだ何も終わっていないんですよ。悔しい思いでいっぱいです。福島のことを忘れてもらわないよう来ました」
私達、普通の生活ができる者の事は忘れてもいいです。
でも、そんな者達でも放射能の恐怖はいつも付きまとう。
まして、避難地域の方たちは住み慣れたところを離れ、先の見通しが立たないまま暮らしています。
そういう人達がいることを、福島を、フクシマではなく福島を、どうか忘れないで欲しいと思います。
心から、願います。

福島に偏見を持つ人は確かにいますが、実はそんな人は以外に少ないのだと私は思っています。
友人たちは勿論、今まで出会った多くの人達も福島だからと、貶したりすることはほとんどありませんでした。
福島も、東北もたくさんの人に支えられています。
私などが言うことではありませんが、本当にありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

紅白を見て、除夜の鐘を聞きながら今日は一人静かに新年を迎えます。
2011年を私達は決して忘れません。

あけましておめでとうは言えないけれど、皆様の新年がより良い年になることを願い、祈っています。


心からの感謝をこめて。