今日も週末トレジャーハント。


朝、8時に家を出て小野から磐越道を経由して常磐道で南相馬まで行きました。
その過程で先日3月1日に開通した常磐道 常磐富岡ICと浪江ICから初めて帰還困難区域を見てきました。
最寄りのPAは四倉とならは。四倉で朝ごはんでもと思っていたのですが下り線の四倉パーキングには売店やレストランは無かったのでした。
移動売店は出ていたのですけどね。上り線にはあるのにずるい…。
そしてならはのパーキングも飲み物の自動販売機があるだけ。
そこで水を買って覚悟を決めて高速道路を北上しました。

以前、広野ICまでは行ったことがありますが、単車線を20分ほど行った先の常磐富岡ICと浪江ICは本当に初めて通りました。
「ここから先、帰還困難区域」の立札と毎時5.8μsv/hの電光掲示板に少しドキドキしましたが、高速道路から見た大熊、浪江の帰還困難区域は本当に普通の光景に見えました。
普通に家が建ち、私達の町と何もどこも変わっていないように見えるのに。
車一台、人の子一人いない町。屋根の上の白い袋。
畑や田んぼだった場所に荒れ放題に立つ雑草。
割れたり開け放たれた家の窓。
人が住んでいない事が高速道路から見ただけでも解り…本当に切なくなりました。

実際に帰還困難区域を走ったのは多分10分ほどで、福島原発も見える程近くは通りませんでした。
広野の火力発電所は見えたのですが。
南相馬に入り、道路に車が見え人が歩いているのを見てようやくホッとしたりしました。
自分でも驚くくらいショックだったみたいたいです。
勿論、通過するしかできない帰還困難区域。
写真なんて撮れません。
でも心に焼き付いて暫く離れそうにないなと思いました。

あの町に人が戻ってくる日まで福島の復興は終わらないのだと思います。

常磐道は思いの外交通量が多く混んでました。
色々あっても復興道路として持つ意味は大きいように思います。
ならはPAの裏手に常磐道全線開通工事に携わった人たちの名前の刻まれた碑が立っていました。
放射能の影響など不安の中、工事を進めた人たちのおかげだと心から感謝したいと思いました。
この常磐道そのものがある意味、福島の宝かもしれません。


トレジャーハントの旅についてはまた後ほど。
今日で17エリアまで行きました。
相馬、伊達梁川、飯館、土湯、二本松岳温泉、そして石川。
けっこう頑張ったとじがじぃさん。
もしヒントが必要な時にはお声かけ下さい。
そこまで難しい場所は無かったと思いますが。