先日の相双、県北地区捜索コードFの取材よもやま話。
その1です
先日、相馬のコードFに行った時、フラワースタンプラリーの王様キビタンのハンコを取る為に南相馬に寄った時、私には寄ってみたいところがありました。
それは鹿島地区にあるという「鹿島の一本松」でした。
宮城の一本松は有名ですが、福島の鹿島地区にも防風林としてあった数万本の松の木の中で唯一生き残った木があると聞いていたのです。
6号線を行き、野球場などを横に見ながら見つけた看板を曲がって4kmほど。
本当に何もない荒れ果てた平地の中にその1本松は立っていました。
周囲にはバイクのツーリングで訪れた方々がいらっしゃいました。
そして、そこでその人たちに説明されている多分、地元の方。
「ここには数万本近い松の木があったんですよ。でも残ったのは1本だけ」
「あそこに見える球場は避難所だったんですよ。
誰もあそこまで津波が来るとは思ってなかった。
でも、中に津波がやってきて、球場のグラウンドでぐるぐる渦を巻いていた。
スタンドにいた人は助かったけど、グラウンドにいた人は助からなかった」
前に久ノ浜に行ったことがありますが、本当に自然の力、海の力の恐ろしさを実感させられる光景でした。
そして、周囲に本当に何もない中、一本だけ何かを待つようにして立つ松の木を見上げて、私はこの木がなぜここに残ったのかを考えました。
きっとこの木は、誰かを待っているのではないでしょうか?
この地に住んでいたたくさんの人たち。
一緒に逝ってしまった仲間の木。
彼らがいつか戻ってくるのを待っているような、そんな気がしました。
陸前高田の一本松と同じように、ここの一本松にも海水などの影響による枯死の可能性があるそうです。そしてこの木の松ぼっくりから松林を再生する計画も。
陸前高田の一本松はオブジェに変わりましたが、ここの木には辛い事でしょうけれどもぎりぎりまで生き続けて欲しいと思わずにはいられませんでした。