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思うこと

 

 文章を書く時、誰が読んでも前後関係、動機、きっかけその他諸々が分かる文章を書きたいと思っていました。文章は一方的な発信だから、きちんと書かないと誤解を生むかもしれない、と半ば強迫観念です。

 これ、至極まっとうなんだけど、何もかも全部って思ったら文章書けない、と気がついた。というのも、最近自分自身の中にいろいろ考えることがあって、それをどこかに書き留めておかなきゃって思うんです。だけどまぁ私の思考は唐突なので、でもそういうことを考えたきっかけはちゃんとあるわけで。それを1から説明しようとすると、途中で嫌になるんですね、私が。

 夢の話を書く時、俄然生き生きしてるのは説明をしなくていいからなんですよ。どんなに突飛でも、唐突でも、「夢だから」で共通認識をはかれる。後は見たことが伝わるように書けばいいんです。前後関係が多少おかしくても気にしない。だって夢だから。
 もちろん『誰が読んでも分かる』『誤解を生まない文章』を書くという意識は大切です。特にパブリックな文章、例えば仕事上の文章とかね。そういう意味で、私は大切なことが分かっていると思うことにする。うん。
 でもここは自分のブログだし、読んでくださっている方も少なからずいるけれど、もう少し自由に書いてもいいかなぁと思った。
 そんなわけで、今年は電波受信したような記事が多く…なるかも知れない。
 だんだんと自由帳みたいになってくるなこのブログ…。
 

正月の思い出



 今日から学校なので、書きためてあった記事をどーんと載せちゃうよ!←


 お正月の思い出。(時系列)
 毎年恒例の正月ホラー(正月休みはホラーゲームに興じるの意。静かでいいとか何とか)
 零新作を本体ごとお買い上げ。冬ボーナスで買うって決めてあったので、すんなり購入。
 零はもう、あの独特の雰囲気と、舞台設定や物語の全てがツボ。私の中のベストオブホラー。私はどうも民俗学的なものにすごく惹かれるようです。

 いつもびくびくしながらやってるんですけど、今回全然怖くなくて、そろそろ(慣れすぎて)自分やばいのかと思ったら、意図的に怖さを押さえてあるとか聞いて安心。今回も登場人物みんな美しすぎて幸せ。幽霊も美人さんでした。

 人生2回目の初詣。1回目は日が変わってすぐに行ったがために、人の群れに埋もれて死ぬほど寒い思いをしたので、もう2度と行くまいと誓った小学生の私。それからすでに10年近くである。
 今回は元日のお昼だったからか、さほど混んでいなかったので快適にお参り。
 お守りを購入し(合格祈願にしようか真剣に悩んだ結果、願い成就のお守りにした。あと音の綺麗な癒し守り。桜の形をしていて可愛い)、おみくじをひく。
 なんと、人生初の大吉。ちなみに覚えている範囲で【勉学】安心して励め【恋愛】心で選べ。とのことでした。うん、おみくじってまっとうなこと書くなぁ。
 まぁ、お守りにも「努力するので結果が欲しい」と願掛けしたので、やるしかないということですな。今年も頑張ろうっと。


 年末年始、実家に引きこもってごろごろしてたら車のエンジンが掛からなくなる。
 バッテリーの充電のためにも、車を少し動かさないといけない事態に…。結局、私がハンドルを握って、父と母が押してくれたのですが、普段喧嘩ばかりの両親が協力している姿が珍しくて「25年ぶりの共同作業です!」とナレーションを入れたら、雪山に倒されんばかりの勢いでど突き回された。車は何とか復活した。

降車対策


実は昨日から札幌におりました。
研修セミナーへの参加です。大変勉強になりましたが、詳細についてはまた後日。

札幌と言えば、思い出されるのはあの帯広一泊事件…。実はあれ以来、釧路には行きましたが、札幌には行っておりませんでした。
釧路に行ったときも、わざわざ30分かけて別の駅から乗るという徹底抗戦をしたにも関わらず帰りは台風で運休という…

もちろん私は賢いですからね。前回の教訓を生かして、最終を避けてチケットを取りました。これで万が一降りられなくてもリカバリー可能!

それから、検札にきた車掌さんに聞きました。「どこが確実に開きますか?」と。前回、もう一枚のドアに阻まれて降りられなかったものですから。サクッと降りられるドアの情報もゲット。

ついでに、思いがけず衝撃の事実を入手。なんと、各駅の停車時間30秒だそうで。 …30秒…だと…?

うちの村だけじゃなかったんかーい!
というか、停車時間って短いのね…
そりゃ、ちょっとミスしたら降りられないわ。皆さんも地方に行かれる際はどうぞお気をつけ下さいね。

今日は無事に降りられますように!
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生きることと選ぶこと


生きることはすなわち選ぶことです。
意思と意図と目的をもって、自分にとって本当に必要なものを選び取っていくことを、私は自立と呼んでいます。

誰の助けも必要とせず、誰にも頼らず、生きることが自立ではないのです。
誰かの助けを得ることも、誰かを頼ることも、適切に選択できたなら、それでいいのです。それだって自立の形です。

仕事が忙しくて手が回らない時は、コンビニご飯だっていいのです。食べないよりましだとちょっとだけバランスを考えて選ぶことができたら、それでいいんです。

本当にどうしようもない時は誰かに頼ったっていいんですよ。どうしても出来ない時は、助けてって言っていいんです。
頑張っている人の救難信号には、絶対に誰かが手を差し伸べてくれるはずです。それはもしかしたら、身近な人ではないかもしれません。例え手を差し伸べてくれる人が身近にいなくても、広い世界の何処かに絶対いる。
まぁ何が言いたいかといえば、諦めたらそこで終わりということです。

まぁ、どうにもならないことって、ほとんどは自分の意地とかプライドとか色々なものが邪魔して、どうにもならないような気がするだけで、いざ飛び込んでみるとそうでもなかったりするんですけどね(主に私の場合)


あえて推敲せず思うままに描いてみる実験。私の話が如何に飛躍するか、如実にわかる文章ですね。自分には頭の回転が早いからだ!と言い訳してる。

実は今年の生徒会誌に寄せる文章を書くための下書きなのでした。
去年は一言で言うなら“無知の知”を噛み砕いた文を書きました。今年は“自立”にしようかなーと思いながら、限られた字数の中で中学生に伝わるように尚且つ痛くならないように書くのは至難の技なのです。元がポエマーなので気を抜くと大変なことになります。

成長したい


社会に出てから、私ってこんなに貪欲だったんだなぁと気がついた。もっといろいろなことを知りたい、もっと授業が上手くなりたい、もっと賢くなりたい、等々。とにかく自分の能力を高めたいと思うようになった。

私はプライドばかり高い子供だったので、出来ない自分を認められなくて、諦めてただけだったんだなぁ。
出来ないことは恥ずかしくなんてないのにね。

いろいろなことを知りたいと思えば、自分の無知さを認めなければいけない。
授業が上手くなりたいと思えば、自分の授業の良くない部分を見つめなければいけない。
もっと賢くなりたいと思えば、自分の愚かさを知らなければいけないし、強い人間になりたいと思えば、自分の弱さを理解してあげなければならない。

成長が常に痛みを伴うのは、本当は目をそらしていたいものを、真っ正面から受け入れた“結果”を“成長”と呼ぶからなんだろうなぁ。

出来る自分でいたいなら、“出来ること”だけやるんじゃなくて、やってみて“出来なかったこと”を“出来るように”しなきゃいけないんだってことに、いまさら気がついた。

あと、やるなら完璧にやりたいとか、とことんやりたいとか、心意気としては立派だけど、成長したい人間にとっては害悪以外の何物でもありませんね。うん、私のことだけど。

成長したい人間はとにかく数をこなさなければダメなんだと思う。
職人さんだって、最初から素晴らしいものを作れたわけじゃない。たくさん作ってたくさんボツにして、どうやったらもっとよくなるか考えてまた挑戦して、そうやって腕を磨いていくの。

失敗したらダメだなんて誰も教えないのに、どうして失敗しちゃいけないなんて思ってしまうんだろうね。
最初から上手くいくはずなんてないのにね。

今年もたくさん失敗をしよう。
完璧主義は卒業しよう。
笑うなら勝手に笑えばいいよ。いつか必ず見返してやるんだから。
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