ひとのベッドで爆睡中のらいちくん(笑)。こうなるとゆすっても起きない。可愛いやつよのう。
かなり年下の知り合いから久しぶりにメールがきた。最近、ネットでもよく目にする「〜かもです」という言葉をその子も使っていた。「〜かもです」とは、正確には「〜かもしれないです」という意味だと思うけど、「〜かもです」という使い方は何か適当に流されたような感じがしてあまり好きになれない。
「私は」を「私わ」と書き、「ぶっちゃけ」は「腹を割って言えば」とか「打ち明けると」という意味合いだと思うけど、これも若い子、特に女の子が目上の人に使うのも何となくみっともない気がする。
言葉は日々進化して形を変えていくものだから、それはそれで仕方がないことだけど、言葉を選んで話すという環境が乏しいのか、正確な日本語を話す人が少なくなってきているように思う。その中には勿論、私も含まれるが、誰かと話すときは出来るだけ綺麗な言葉を話すよう注意しているつもりである。私は下品な話こそ気心が知れた友達にしか言わないが、それでもこれを言ったら下品だという境界線を越えない程度に語っているつもりである。
何も上品に話せと言っていない。ヘンテコな言葉が状況によって正しいか正しくないか使い分けるべきなのだ。それが当たり前のように使われ、本当の使い方すら忘れ去られるのが恐ろしいだけなのである。
日本語は難しい。それでいてどこの国よりたくさんの美しい言葉がある。それを上手に使いこなせないなんて勿体ない。綺麗な日本語が並ぶ向田邦子のエッセイを読むたび、そう思わずにいられないのである。
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