冬毛になりだしたモフモフのらいち

 今年は紅葉が早く、あと二週間ぐらいで木の葉は落ちてしまいそう。何故こんなにも早いのかと言うと、今年の猛暑で植物にダメージを受けているせいだろうといわれている。あれほど暑かったから今年の冬は豪雪になるだろうね。またあの地獄がやってくると思うと恐怖だ。知人の多くが家庭用除雪機を購入した人が増えてきた。わが家にも一台か二台は欲しいな。


 最近の私は寝て過ごす日が多くなったが、雨の日の昼間に居間にいたら、雨に濡れたらいちが来た。急いでタオルを取りに行き、家に入れたら脚が泥んこでらいちのあとを四つん這いになり畳を拭きながら追った。いつものように真っ直ぐお仏壇に向かい、両親の写真のところまで上がり挨拶するように頭突きする仕草をした後、後ずさりして降りるので私は抱っこする形で受け止めて脚を拭いた。「じいちゃんとばあちゃんのこと忘れないでいい子だね。アンヨがまっくまっくだからキレイにしようね!」と、赤ちゃん言葉で話しかけてしまうのは何故なのか(笑)。暗くなりかけた頃には「おんもがまっくまっくになるし、お姉ちゃんがもうすぐお仕事から帰ってくるよ。お姉ちゃんとお風呂入るんだよね?おうちにアンヨアンヨして帰りな」といつも言う。らいちは人間みたいに渋々帰っていく。たまに泊まりたがるが「らいちゃんのおトイレないからネンネできないよ。アンヨアンヨして帰ンな!」。外に出す前にチイ姉に連絡しておくとチイ姉が勝手口から「らいちゃん、帰っといで〜!ママと寝ようよ!おいで!」と叫ぶと、らいちがPUMAのロゴみたいになりながら走っていく(笑)。ちゃんと話している言葉がわかるようだ。
 らいちは11歳だから人間で言えばオジサンというよりかジジイだが、ママ(チイ姉)が大好きで甘えたとき「まーまっ!」と言うとチイ姉が「なあに?らいちゃん」が無限に繰り返され、またやってるのかとみんなから呆れられている(笑)。最近はさくらばぁばが亡くなってから構ってくれるようになったお姉ちゃん(チイ姉の娘)と遊ぶのが楽しみらしい。一丁前に時々きょうだい喧嘩みたいなのもしているようだ(笑)。たまにパパにお仕置きの頭グリグリもされるが、小さな声で「パパ!」と言って呼んでるのに気づいてもらえない。他に声に出して言えるのはカリカリがお皿に無いときになどに言う「なぃぃぃー」、それから犬を見つけたときに「ゎんゎん」、「まむ(私のことをなぜかそう呼ぶ)」、あとは芸なし。
 チイ姉のらいちへの溺愛は半端ではなく、何かしでかしたとしても「うちのらいちゃんがそんなことするわけないじゃん!」と信じて止まない。らいちは頭がいいのか悪さは家ではしないようで猫のくせに猫かぶってるらしいのである。前世ではチイ姉の息子だったので、わが子と知ってからはずっと次男坊扱いであり、親バカぶりがすごい。まあらいちは可愛いし私もしょうがないと思っている(笑)。








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知らぬが仏

 今日は久々に、起きたら部屋が真っ暗だった。今週は睡眠時間が短かったからよく眠れたが生理痛に見舞われている。早く痛み止め効いて!


 すっかりご無沙汰している趣味の知り合いのことがこの頃、急に頭に浮かんで離れないでいる。彼女は今、どうしているか人伝で訊ねるほどの間柄でもないから急にこっちから連絡するのも気が引けるし、本人からなぜ突然?と驚かれそうでもある。
 彼女はアレルギー体質で食べ物に対して細心の注意を払い、一緒に食事しても食べるものは限られていた。ご主人と二人こじんまりとしたアパート暮らしで、彼女の偏食により食卓は独特のものであった。時折、職場の同僚に関する愚痴をこぼし、口から出る言葉の多くに彼女の心には前向きさがまるで無いようだった。ご主人は動物がとっても好きだったが、そのアレルギーによって犬猫はおろかハムスターすらも飼えない。そんなせいか、彼女には明らかに母性が欠落しているのが時々見え隠れした。彼女がくれた手紙は学生のような幼い文字で、文章の至るところに小さなイラストが散りばめていた。その年齢からは想像もつかないほど若々しいのだが、子どもも授かることなく夫婦で不惑を迎えていた。であるからして、夢のマイホームを建てるでもなく将来設計もまだまだ白紙で、共働きしているので生活に余裕があるらしく互いの趣味に没頭できるわけである。
 彼女がどうして目の前にいる可愛らしい猫に後ずさりしたのか、この時すべてがわかった次第。猫の愛くるしい仕草に可愛いと思わない人は少ないだろう。ましてや近年は空前の猫ブームが到来しているご時世。アレルギー体質であっても見るだけなら平気だろうと思い、無類の猫好きな私は躊躇なく頭を撫でたり、顎のところを指で擦って猫のご機嫌をとったりしたが、伴にいた彼女が早く立ち去りたい素振りを見せたので名残り惜しいがその場をあとにしたことがあった。
 アレルギー体質は仕方がないし、彼女は何も悪くないのだが、節々に見せる神経質な姿に、どうしてこうなったのか気になってしょうがなかった。さしずめ、アニメ『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーさんの如く、常に張り詰めた状態で自制して生きるのは疲れるだろうし、ご本人はこの世の中はつらいことだらけでちっとも幸せを感じられないと思うと気の毒でしかない。
 とか何とか言って私も人様のことは言えないほど、潔癖症や気難しい性分があったが、不惑を迎える前ぐらいにだいぶ丸くなったと自負しているから言えるのである。神経質というのは自分に自信が無い人がなるものだと思っている。自分のことを認めてあげさえすれば周囲の目や言動にあたふたすることもないし、他人様と比べる必要もなくなる。要はそれを自分で気づけるか気づけないかなんだよな、とつくづく思うのだった。
 後日談というか秘密を明かすことになるが、このご主人とは彼女を通さずして昔からの知り合いで、数年前にSNSで再会した。実はこのご主人、結婚した当時から別のお料理が上手な女性がいてわが子のように愛でる猫を飼い、仕事を早く片づけた日には同僚たちを呼んで飲んだり自慢の手料理を振る舞うことができる部屋があるという。なぜ奥さんと別れないのかは夫婦の間にしかわからないが、ご主人としてはとても充実した毎日らしい。そう、いわゆる男性が好きな「放ってはおけない女」と「ほっとできる女」両方をうまい具合に使い分けているわけだ。知らぬが仏、とはよく言ったものである。







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感動屋

 十月に入ってから、私はほぼ毎日泣いている。何か悲しいことがあって泣いている訳ではない。私は一年の中でそんな風になる時期が何度かあるのだ。また来たよ、例のサイクルがね!(笑)
 毎度のことだけど「有難いな、私はラッキーだな」という感謝の気持ちに包まれて泣いたり、何気ない映画のワンシーンで感動して泣いたりする。寝起きに「ああ今日も無事目を覚ますことが出来たなあ」と泣いたり(笑)。日常におけるささいな瞬間に涙が出てしまうのである。この状態の自分は「感動屋」という生業なんだと思うことにした(笑)。
 心から感謝を感じることが出来るのは私が近年、ようやく駄目な自分を許し自分という人間を愛せ、目の前で起きていることを純粋に有難く思えるようになったからにほかならない。それは本当に奇跡のようなものだ。この世に生まれて長い間、自分自身を痛めつけて追い詰めてばかりいた私がやっと成熟したのかもわからない。とにかくこの三年ぐらいは様々な事柄に感激したり、悟ったことが多い。故に迷いはなくなった。
 多分、こうした状態は誰にでも起こりゆる事だろうが、泣きたくなるくらいの感情の昂りというのは魂が新たなステップへ向かうお知らせなんだろうと思う。その「感動屋」の頻度がこの三年でやたらと増えだしてしまっているようだ。
 私自身は身体が徐々に弱っていて、やがて来る死への準備を毎日少しずつしているけれど、気持ちの整理は終わりに向かい、あとは残りの時間を出来るだけ穏やかに過ごそうと務めている。

 「感動屋」はいつ泣き出すかわからない。さっき、YouTubeでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散ライブでラスト曲に演奏されたデビュー曲『世界の終わり』を観ていた。最後に悲しげな故アベフトシの映像に涙。もう何度観たかわからないほど観たはずなのに、アベフトシのことを考えると泣けて泣けてしょうがない。弦が切れても演奏を続け「解散なんかしたくないんだよ!」と言わんばかりの彼の無言の訴えを皆さんもご覧あれ。アベフトシという人は日本では高い評価を集めた伝説のギタリストでカッティングの凄さで有名で、既に他界している。酒癖が悪かったが私は大好きだった。

世界の終わり/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
youtu.be








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樹木希林さんを改めて思う

 三日間、何とかやれてるな(笑)。このまま飛ばしていきたいが体調はあまり良くないな。寒くなって頭は冴えているが手足が時々痛くて困っている。バセドウ病が悪化してるんだと思う。それでも焦らず、戸惑わずいこう。

 先月15日に樹木希林さんが亡くなられて一ヶ月が過ぎたが、未だに新聞各紙で彼女の評伝が掲載され続けている。手に入ったものだけでも十紙はある。筆者はコラムニストから日本を代表する企業の社長まで多岐にわたる。それだけ多くの人々に影響を与えたのだ。
 樹木希林さんの55年の女優生活の中で、いちばんインパクトがあったのは内田裕也さんとの再婚だろう。前夫の伝説の俳優故岸田森さんのことが全くと言っていいほど出てこないのも不思議ではあるが、人々の関心はいつも内田裕也さんとの奇妙な別居生活が中心だった。
 「ちょっと転んでね…」と顔にアザがある姿で生放送に出たことも数知れず…。明らかにご主人による暴力による怪我だったはず。DV被害にあう女性はきまって「転んだ」という。内田さんがかつて夢中になった当時の愛人の島田陽子さんとの攻防は最後まで毅然たる態度で闘ったし、内田さんが数々の事件を起こした時も樹木希林さんは強かった。そしてどんな時も内田さんを見捨てなかったのは心から愛していたのだと思う。どんなに裏切られてもである。その姿こそがロックンロールであり、パンク魂を感じたのは私だけではあるまい。
(昔は破天荒なスターが多かったけど、勝新太郎さんとか今の若い人が見たら衝撃を通り越してショックを受けちゃうんじゃないかと時々思う。内田裕也さんなんて大人しいくらいだよね?笑)
 樹木希林さんといえば毒舌だが、ご本人も認めるほどたくさんの人を虐めてきたという。ある時は長年の付き合いのあるドラマの名演出家・故久世光彦さんが若いタレントを愛人にしていると現場でバラして久世さんと大喧嘩して芸能界を揺るがせた話はとても有名だが、ほとぼりが覚めた頃に向田邦子作品で再びタッグを組んだくらいだから、二人は和解したのだろう。樹木さんは向田作品には欠かせない存在だったし、久世さんが水に流したのかも。
 それでも長年親交があった人たちの評伝によれば、毒舌や喧嘩を持ちかけた人にはそれを耐えられる人にしかせず、心が弱い人には全身で抱きしめて「私も口に出して言える子じゃなかったけど、あなたの胸の中にはたくさんの言葉があるのよね」等と優しく言葉をかけていたそうだ。樹木さん曰く「私は他者の裏側ばかり見ている腹黒い人間でけして善人ではないのよ」と言っている様は、どこか向田邦子先生を彷彿する強さと優しさ。やっぱり類は友を呼ぶなのだろうか。
 姓名診断で本名の「啓子」を見てみると、やはりそういう性格になるように出来ている(笑)。「啓」の字が入った人は個性的で、自分のしたことがたとえ間違っていたと自覚していても頑固に通して、一人でいる時に突然自分のしでかしたことに酷く傷つくらしい。気分次第でなんとかなるような簡単なものでもないらしいから樹木希林さんも相当自分の言動を制御できずに途方に暮れたと思う(苦笑)。名前って知れば知るほど不思議である。
 しかし、亡くなってその存在の大きさに気づいた人が日本中にどれだけいるだろうか。私は向田邦子オタクになる前から何となく好きで、彼女が出ていると見入っていた。コミカルな場面、シリアスな場面でも彼女だけのスタイルで演じ分けていた。ハリウッド映画で老いたシャーリー・マクレーンが出てくる度に、この人と樹木希林さんは重なって見えたりもした。樹木さんが福島の相馬を舞台にした朝ドラ『はね駒』に出た時には私は既に樹木さんが好きだったことを考えると、やはり向田邦子先生のファンになる前からだったのだな。
 内田裕也さんは今頃、樹木希林さんとの思い出に毎日どんな風に向き合っているのだろう。ラリって暴れてもひたすらに耐えて、愛娘の也哉子さんよりもまず自分を優先に生きたことに心から感謝しているだろうか。樹木希林さんにこれほど愛されてたと気づくのには遅すぎたか、いや、ずっと気づいていて不器用な表現でも愛情表現をしていたのだろうか。体がかなり弱って介護が必要らしいから気を落とされないといいのだが…。
 最後に、余談だがそのうち樹木希林さんの名言やライフスタイルを集めたムック本が出ると思う。知人に資料提供を頼まれて、先日送ったばかり。何でも切り抜いて取っておいたりする私は意外と役に立つ女じゃないかね(笑)。来年には発刊される目標で編集中らしいから楽しみだわ。正直に語る希林さんに嘘はないから、誰かの生きる力になるんじゃないかな。








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>>わらううたひめさん
そうだったんですね。お休みも大事ですよね。
長年ライターをしておりました。震災後までは細々と内職のようにやってましたが、今は病気で引退状態(笑)
私を助けてくれた人には本当に感謝しかないですね。ご縁というのは不思議なものです。

代理戦争はもう終わりや

 WiFiを春にドコモ光で入れてから、プロバイダーがルーターの無料配布している案内の封書が誰かによってありえない場所に置かれ気づかないまま夏が過ぎ、ようやく封書を見つけて申し込んでルーターを先月ゲットしてからわが家のWiFiは高速で使えてiPhoneSEちゃんがとても快適になった。
 モデムとルーターがむき出しで置くのも味気なくて、雑貨屋さんからカゴと猫の手ぬぐいを買ってきて入れたらいい感じになった。配線が長かったら置き場所ももっと考えたのに意外と短い。とりあえず動画観る時も、アップデートも止まることなくスイスイだから入れて良かった!

 つい先日、詩人時代にお世話になった大手出版社のK社長さんから電話が来た。家の電話にかかってくるのは大抵セールスかアンケートぐらいだから居留守でやり過ごそうかと迷ったが出てよかった。
 「何年ぶりかな?その後変わりはないかね?」と私の様子を窺い「○○さんにやっと本当のことが言えたよ」と、本題に入った。

 今から二十数年前に遡る。私が詩人としてデビューして一年が過ぎた頃、尊敬していたが会ったことがない有名な作家が「○○(出版社)の社長自らが無名の作家を駅までわざわざ送り迎えしている」と陰で噂を広げ、なんと連載コラムや『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングでもネタにしたのである。大好きなタモさんにも知られてしまったショックでしばらく寝込みそうになった。
 社長さんが直々に迎えに来てくれたのは、亡くなったばかりのある人から「俺に何かあったらこの子のことを頼みます」という約束を守って、社長さんご自身も手足が不自由な私のことを気遣ってのことだった。そのあと出版社名義で下落合にアパートを借りて私に自由に使っていいとまでしてくれたが、東京で暮らす気にはならず、申し訳ないと思いながらも遊びも仕事も上京した時は新幹線を使い、ビジネスホテルに泊まっていた。
 とりあえず文庫本の処女作は第一刷
は完売するくらい売れて、社長さんにお礼できる日が来たら何かでお礼しようと考えていた。ただまだ十代の小娘が何かしたいと思っても考えるのはたかが知れてる。そうしてずるずると三年近く社長さんに世話になった。その間に、東京駅で社長さんの車に乗り込む私の姿を見た例の有名な作家の取り巻きの人が目撃したようなのである。社交的でとにかく有名な作家だから噂は相当広まったが、私は表立ってパーティーやメディアに出るタイプじゃなかったから誰も私の真実の姿を知らなかったのも災いしていただろう。その噂はつい最近までネタにされていたようだが、弁解する機会もなくそのままだった。許せなかったのは私のことを思って面倒を見てくれた社長さんの悪口のように広まったこと。何としてもこのことはいつか名誉を回復して差し上げねばと思っていたが接点も脈略もなくいたこと。そのことを知っていたのは社長さんと私と辻仁成さんだけ。辻さんは既に忘れてしまっているようだが(笑)。
 そんなこともあり、詩人時代のペンネームは一切使わなくなってしまったし、詩を書く気も失せて二十年以上経った。

 電話に戻る。あるパーティーで社長さんは先日、その有名な作家に会い、当時のことを話す機会ができてすべて話したらしい。手足が不自由な身体障害者の少女が福島から上京してくるのに都心は危険すぎるから、せめて駅から目的地の近くまで送迎してあげたかったんだと話したら「全然知りませんでした。失礼なことをして申し訳ありません。その女の子…もう女の子と呼ぶには失礼ですね、その女性にもお詫びしていたこと伝えてくださいね」と仰ったらしい。長年、その作家に対しては「陰で言わず表立って私に直接言ってこいや〜!いつでも受けて立ったるでぇ〜!覚悟しいや!」(笑)と細っそい煙草に火をつけながら『極妻』の岩下志麻姐さんばりに代理戦争受けて立つ!ぐらいに思っていたが(笑)、社長さんも水に流すと仰るしもう許そうと思っている。
 そして現在、正確には社長さんではなく某王手企業の相談役だそうだ。それでも私にはいつまでも「社長さん」なのである。そして私の「東京のお父さん」。

 こうして陰ながら見守ってくれてる人がいるというだけで、どんなに心強いか。私にこれまで助けてくださった方々にお礼して参りたいが、なかなか難しい。手紙も書いたら良いのだろうがなかなかその気にならない。駄目だな…私。






たくさんの拍手ありがとうございます!
>>ななたんさん
Twitterではいつもお世話になっております!
向田先生のお父様とうちの父は似てますね。
私と父の関係も向田先生のと似てる気がする。だんだん仲良くなっていろいろ話せるようになった矢先に亡くなりましたしね。
ななたんさんのお父様、大切に!
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メアリさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 11月8日
地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
血液型 A型
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