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大晦日の夜に…

 大晦日である。紅白を観ながらブログを書くのは初めてかもしれない。久々にアルコールを解禁して、ワインを飲みながら書こう。

 今年一年は今までにない出来事だらけで、言葉でどう説明したら良いだろうか。五月に尊敬していた父を亡くし、今月は母が亡くなり、何をしていてもやるせなくて無念の悲しみが募る。一般的に見て、私のように両親をいっぺんに亡くすということがあり得るのだろうか。とにかくいつも悲しいという気持ちだけで、どんなに集中して何かをしていても頭から離れないし、心から笑えなくなった。これではいけないとわかっていながら…。来年は両親の一周忌を盛大にやりたいので、しっかりしなくては!

 唯一、良かったなあと思ったのは11月にThe Whoの武道館公演を観れたこと!これは長年の夢だった。思い出すたび、胸が熱くなる。ロジャーとピートがまた元気に来日してくれたらいいな!

 来年からは新たな気持ちで過ごそうと決めている。自分の時間がたくさん出来るので、とりあえず映画鑑賞を再開し、外出ももっと増やそう。

 今年一年、このブログにお付き合いいただき、ありがとうございました!皆様にとって、素晴らしい一年になりますように…

ズラズラと…

 気がつけば今年も残すところ、あと一日だった。テレビも新聞も読まないまま、十日ぐらい過ごしているので世の中がどうなってるかさっぱりわからないや。

 今日は神奈川から母方の従兄弟が来てくれた。お盆に二人だけ来てくれたのだが、今回は三人(男性二人・女性一人)。初めて会った従兄弟といい、男性二人は誰が見ても「カツラかぶってまーす!」と、バレバレな違和感ありありだった(笑)。
 母方の親戚はなぜかカツラ人口が多く、まじまじと顔を見てしまうのも悪い気がして、目をそらしながら会話してしまう。目を合わせたとたん、そのズラに見入ってしまいそうだから(笑)。今日初めて会った従兄弟の髪型のことを彼らが帰ったあと、チィ姉は“ミスター・マリック”と言った(笑)。年明けに神奈川へ帰る前にまた寄るというので、私は彼を「マリックさん!」と呼んでしまいそうである。

爽やかなY君

 葬儀が終わって、次兄と二人っきりになるかなと思いきや、今日は初七日で兄姉たちが集まってくれた。みんなでお昼を食べたり、夜は寄せ鍋をしながら賑やかな一日だった。お正月まで毎日みんなが来てくれることになり、ちょっと嬉しい。

 そうそう、笑っちゃう話が一つありましたな。姉たちと話すことの中心が、葬儀社の担当の人が父のときと同じ人でY君(28)という青年。毎日我が家に来てくれている。彼が来るたび、みんなが大騒ぎ!それはそれはあまりにも顔立ちが素敵で、アイドルみたいに爽やかな風貌なのである。
 あまりにも好青年なので気に入ってしまったハル姉は「彼女いるの?」とY君に尋ねたら「いません」と言われたので「うちの娘どう?婿にならない?」と口説いた(笑)Y君は答えるのに困って黙ってしまった。彼はとても葬儀社の社員にしておくには勿体ない。笑顔も爽やか!コカ・コーラのCMに出てもおかしくないと思う。私の婿にはどうかな?年下なのは置いといてさ(笑)

 うーん、まだ疲れが抜けないので調子が出てこないから、何を書けばいいのか悩みますなぼちぼち頑張ろう。




拍手レス
>すずき
先日はありがとう!
えっ?飯島愛さん、亡くなったの?テレビとか観てないから知らなかった。嘘信じられない。

>ゆみさん
ありがとうございます。
今は弱気になってるけど、そのうち元気になるでしょう。気長に待っててください!

ただいま!

 皆さん、お久しぶりって感じですな。ブログを何日もお休みしちゃってすみませんでした。

 さて、母の葬儀が無事終わりました。母も父の時みたいに賑やかで盛大な告別式になるように、兄弟で力を合わせて頑張ってみました。参列下さった方、どうだったでしょうか?
 今回が最後だから、と遠路はるばるいらっしゃった人たちも大雪に関わらず、たくさん参列してくださって有りがたいやら申し訳ないやら、複雑な気分でした。弔電・花輪・生花を送って下さった皆さんも、本当にありがとうございました。

 五月に亡くなった父のあとを追うように母が逝ってしまって、まだその悲しみも癒えていないのに、こんな年末を迎えるとは思いもしませんでした。
 父亡きあと私は母をどうやって看ていこう、自分の人生はどうなっちゃうんだろうって随分悩み続けていました。少しずつ弱くなっていく母を目の当たりにしながら、私の無力さを痛感した半年でした。母なんていなければいいのに、とほんの少し思ったことを今は後悔しています。母のために出来たことはもっとたくさんあったはずなのに…。本当に今さらになっちゃいました。
 少女のように純粋だった母の人生の大半は貧しい時代にあり、やっと何不自由なくなった時代に私が生まれ、幼い頃から心配のかけどおしだったはずです。それなのに、いつも優しく見守ってくれていた母を何も恩返しもしてやれないまま、こんなに早く亡くすなんて残酷すぎます。

 この一週間の私は悲しすぎてうまく泣けなくて、ぼんやりすることが多い毎日です。気楽に生きることはけして簡単ではないけど、私たち家族はしっかり前を向いてこれから生きなくてはなりません。これからの生活をどうしたらいいかわかりません。「これからは好きに生きていいんだよ」と声を掛けてくださった方がいましたが、正直いうと今の私は生きる張り合いを無くしています。いっそのことなら両親がいるところへ逝ってしまいたいとも…。それこそ、親不孝になりますが。ただ漠然と残された自分が切なかったりします。私はいつかこの深い悲しみから立ち上がれる時が来るのでしょうか。両親と過ごした日々の記憶が薄れてきてしまうのも怖いんです。当たり前にあった日常がこんなに変化してしまったことにも、慣れなくちゃなりません。といってもやっぱり「明日から自由ですよ!」と言われたって、私はそう簡単には受け入れられないような気がします。
 時間がかかるかもしれないけれど、いつか両親のもとへ旅立った時に良い人生だったよと言ってやりたいですね。だから前を向かなくちゃ。

 告別式まで何日も交代で寝ずの番をしたし、式を無事終えたことの安堵感と疲労で、心身疲れはててしまいました。これからゆっくり寝たいと思います。

 お母さん、お式どうだった?早く最愛のお父さんに会えるといいね!お父さん、お母さんのこと頼みます。ちゃんと道案内してあげて。こっちも頑張ってやっていくから心配いらないよ。私にたくさんの愛情と学びを与えてくれてありがとうございました。

母、急死

 入院したばかりの母が急に逝ってしまいました。昼間に長姉がお見舞いに行ったとき、母の言動がおかしいと言うので、急いで病院へ駆けつけたときはまだ意識があったのに、私のこともみんなのことも誰だかわからなくなっていました。そればかりか、時計の針が何時を指しているのかも、文字すらも読めなくなっていたんです。お母さん、大丈夫?と尋ねると「はい、大丈夫です」と他人みたいに敬語を口走りました。
 母は時間を追う毎に、きちんと言葉を返せなくなり、検査をしたところ、脳に大きな出血があることがわかりました。そして間もなく意識を失ない、21時過ぎに息を引き取りました。77歳でした。思い起こせば大好きだった父の待つところに、早く行きたかったのかもしれません。誰よりも大好きな夫のもとへ…。

 私は父が亡くなって以来、病気に負けて弱くなっていました。母の世話もきちんとやれていなかった。もう少し強い心があったならば、母をこんなに早くに亡くすことはなかったと思います。悔やむことは数えきれないほどあります。気がついた時には大切な両親を二人も亡くしていました。こんなに悲しいことが一年に二度も起きるとは、予想できませんでした。

 どうかこれを読んでくださっている皆さまには、私のような後悔をせず、ご両親を大切にしてください。もっと一緒にいる時間を作ってくださいね。私からのお願いです。

 しばらくの間、土曜日の葬儀へ向けての準備に入りますので、このブログをお休み致します。ご了承くださいませ。
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誕生日 11月8日
地 域 福島県
職 業 マスコミ・芸能
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