気がつけばもう十月である。そろそろ母の一周忌の準備に入らなければならない。最近、母の夢をよく見る。どちらかといえば私は父っ子だったので、母のことを理解できないところがあった。若い頃から病気がちな母は神経質で気難しいところがあり、喧嘩しつつも父は何でも手助けしていた。普段は穏やかで口数少ない彼女なのに、時々少女のようにすねてみせたりするのが、父は可愛かったのだと思う。
最近、何かにつけて私のことを母に似ているとみんなに言われている。「ほら、茶の間で座ってる感じ、お母さんそのもの!」「面倒な話に聞こえないふりをするのも似てるよね」とか(笑)。私はわざと母を意識してやっているつもりはないのだが、仕草がかなり似ているのだとか。
そうなのかなぁ…自分ではわからないと思っていた矢先、ある日いつものようにお風呂上がりに洗面所で歯みがきしていたら、鏡に母が映っていた。いや違う、それは紛れもなく私だった!(笑)それからというもの、確かに似ているかもしれないと思えてきた。
晩年の母は小さくて可愛いおばあちゃんだった。末っ子の私をいつも大事にしてくれて、何かあるとかばってくれた。家族で彼女だけが私を“ちゃんづけ”してくれていた。母は父のことを心底愛し頼りにしていたが、父を亡くしてからは虚無感に襲われたのか、どんどん衰弱していった姿を思い出すたび、今も胸が苦しくなる。
そんな母が若い頃、どんなことをしていたのかも今となっては手がかりが少ないので、人づてに断片的なことしか知ることができない。父のこともそうだが、いちばん大変だった戦前戦後の様子は語りたがらなかった。
昨日『徹子の部屋』に、白州次郎・正子夫妻のお孫さんである白州信哉さんが出ていたが、彼も私のように過去を全く聞かされてなかったという。時代が時代だけに語ること自体、勇気もいるだろうし、忘れてしまいたい記憶だったのだろうか。
うっかりしていたが、セレブな白州夫妻と、うちの貧しい開拓民夫婦を重ねてはいけなかった(笑)。父、母、ごめんなさい
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