「あ、おはよう石川、美奈」
「坂井さんは?」
「夏はフィールドワークが盛んになるからね、来ないんじゃないかな」
「ならゆっくりして行こうかな」
フィールドワークと書いて虫取り。千尋の趣味のそれはいかにも生物科学部らしいけど、専攻とは関係ないとだけは。私たちの存在に2年生が驚いているし、知らない顔の子はきっと1年生。
「美奈ってアオとは初対面だっけ。ミキサーのアオ。学科は都市環境だよ」
「高山蒼希です」
「ディレクターの、福井美奈……」
アオと呼ばれたこの子は徹に少し懐いているような感じがする。時折ド直球の毒舌が混ざるところからすると、きっと徹の“本質”を知ってるんだと思う。聞くと、この子は徹がサークルに連れてきたようなものだと。なるほど。
「そうだ大石、差し入れ」
「わー、ありがとう石川! みんな食べよー」
UHBCが油断するとお茶会サークルのようになるのも相変わらず。今日のお茶請けは徹が差し入れたボール型の一口ドーナツ。バイト先でもらってきた物だと思う。私も甘くなさそうな物を選んで少し摘ませてもらう。
「俺たちがいない間に変わったことは?」
「初心者講習会が終わって、あっそうだ、夏合宿の参加申し込みがあったよ」
「そんな季節か、懐かしい。1・2年生が出るような感じ?」
「だね。今いる子と、あと今日はバイトでいないけどミドリが出るって」
――などと、他愛もないことを話していた時のこと。急にガタッと音を立てて、テルが真っ青な顔をしている。
「テル、どうした」
「ツ、ツカサ……あれっ」
「うわーっ!」
2年生が大騒ぎをするけれど、具体的に何があったのかはよくわからない。私たち3年生と、アオはわかってないようで動けない。
「石川先輩助けてっ」
「どうした羽咋。何なのか言わなきゃわからないぞ」
「ゴキッ、ゴキがいるんですー!」
「はあ!?」
「あー、千尋がぶちまけた残党かなあ」
「大石、バルサン焚けって言っただろ!」
「焚いたよ!」
「しょうがない、やるぞ大石」
「う、うん」
2年生と女子は部屋の隅の方に固まり、徹と大石君の戦いを見守る。二人はそれぞれ孫の手とハエ叩きを装備してそれと睨み合う。微動だにしないそれとの駆け引き。動いた方が負ける、そんな空気。
「石川、孫の手で大丈夫? ハエ叩きの方がいい?」
「いや、問題ない」
そして、私は思った。かつて、徹と大石君がこれほどまでに協力し合っている姿を見ただろうかと。振り返る限り記憶にない。今までは徹が腹の中とは違う顔で引っ張って、大石君が疑いもせずにこにこと返事をする。そんな印象だったから。
それがどう? 押しも押されもせず、対等な立場で戦う2人の姿がある。1・2年生と私でこの戦いに対する見方が違うのはわかっている。一刻も早くゴキブリを駆除してほしい気持ちはあるけれど、私はこの光景を長く見ていたい気もする。
「福井先輩、どうですかね」
「徹の太刀筋なら……」
刹那、空気が動いた。
「石川行ったよ!」
「――ここだっ!」
2年生の歓声が沸き上がる。やった。
「ふー、疲れたー」
「ったく」
「あ、やったの片付けなきゃ。でもすごいね石川、孫の手で当てるなんて」
「間合いの取り方や、これは多少短いけど棒の扱いならある程度は。剣道やってたし」
すごいなーと感心しながら、大石君は徹が叩いたそれを片付けてくれている。徹は、近くにあったからと思わず武器にしてしまった孫の手をどうしようと少し困った様子だけど。
「実験室に、エタノールがある……」
「そうか、消毒し放題だ。大石、疲れたし消毒もあるからゼミ室に戻る」
「うん、わかったよ。ありがとー」
「いいか、バルサンは何度でも焚けよ」
「う、うん、わかったー」
私も徹の後についてゼミ室に戻ることに。だけど、今日のサークルはとてもいい物を見られたと思う。今後はそんな光景を見ることは叶わないと思うから。ある意味で、千尋に感謝しなければいけないかもしれない。
end.
++++
いつかのゴキの残党かはわからないけれど、星大のサークル室にも出るようになってしまったようです。青女はどうなったんやろかそう言えば
今回のお話はイシカー兄さんとちーちゃんが協力し合うところを見たかったがためだけの物。美奈にしてみれば感慨深いのかしら
今期のイシカー兄さんは割とサークルにも顔を出しているような気がする。まあ、まだ始まったばかりですからね。秋学期になれば完全な幽霊になるのかな