それから、俺はどう行動していたかを全く覚えていない。記憶という意味でも、体や心に刻み込まれているかという意味でも。わかるのは、鉄の重りでも乗せられたように体が重く、ここがサウナかと思ってしまうような熱さだけ。
それでいて何とか立ち上がると四肢は言うことを聞かずふらふらと浮遊するかのようだ。さながら無重力状態。右手が千切れてその辺に漂っていくんじゃないか、そんな錯覚。天地感覚もない。いつもならスウェットの裾を踏んで堪える冷たいフローリングがいやに気持ちいい。
測らずとも熱があることはわかる。それならば、具体的数値を目にして気から病を重症化させるよりは、狙ったポイントにコンディションを持っていくこと。今日、金曜日であればこの後12時20分に本番が迫った昼放送。その30分間に出来得る範囲のベストを持っていくための栄養ドリンク。
コムギハイツから大学の敷地までは徒歩5分。ビッグスクーターがあればもっと早い。ただ、今日は乗り物を運転出来る気がしなかった。どうせ歩いても5分だ。裏駐車場からサークル棟の脇を過ぎ、喫煙所に漂う煙の幕を潜る。人の波に逆らわず、第1食堂へ。
「おはようございます」
「うーす」
昼放送をやらせてもらっている食堂の事務所に付くと、早々と達成感を覚える。体は重く、立っていられない。頭は辛うじてぐらぐらしていないものの、気を抜くと落ちそうだ。重力に逆らうことをせず、尻だけを落としてすとんとしゃがみ込むこの座り方、一昔前のヤンキーか伊東か。
「高崎先輩?」
「わりィ高木、水買ってきてくんねえか」
「水ですか?」
高木に水を買いに行かせて周りに誰もいなくなれば、首もすとんと落として閉じた目の中では暗闇が渦を巻く。一瞬だけのつもりが、気付けば高木に声をかけられていた。時間の概念もどこかへ消えていたらしい。
「高崎先輩、何かいつもと様子が違う気がするんですけど」
「気の所為だろ」
「そういうものですか」
ったくコイツは人の言うことをすーぐ真に受けやがる。まあいい。俺自身を言い聞かせるための言葉がこれ以上の詮索を封じる手札をも兼ねるなら、言葉を少なくも出来るし好都合だ。声を発するにもエネルギーは必要だ。番組のためにとっておきたい。
それからのことは全く覚えていない。ましてやどんな番組をして、どうやって家に戻って、いつの間に着替えていたのかも。相変わらず体は重い。その割に手や足はバラバラに飛んでいこうとする。俺は何人の宇宙飛行士を飼っているんだ。
ひょっとすると大学に行ったのは夢だったのかもしれないし、突発的夢遊病を発症していたのかもしれない。日付と時間は確かに11月28日の16時半過ぎ。もう、いいか。観念して体温計の突きつける現実を目の当たりにすれば、雑炊かミカンが食いたくなる。
「高ピー、起きてるー? あっ、起きてるね。大丈夫?」
という伊東の問いに、無言で体温計を突き付けた。先の問いを完結させ、何故か人の部屋に上がりこんでいるこの男は何か欲しい物は? 食べたい物は? などと一方的に声のシャワーを浴びせるのだ。ただ、喋る気力もない、念力も使えない俺には「雑炊とミカン」と伝えるのも一苦労。
普段なら、埋まっていなければ気が済まない現在地点に至るまでの過程もすっぽ抜けている。普段なら、気になるところも気にならない。人の部屋に他人が上がり込んでいることに対しても、普段なら怒るはずだ。いろいろトンでいる。39度のムーンスケールで浮遊してんだ。
end.
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ナノスパ7周年ということで今日は高崎。何気にはじまりの男3人がバラバラにとは言え出ているお話。
とびとびになっていたり、ワケわからんくらいが今日のお話だと思っている。高崎がふらふらしている、というくらいの感じでオッケー。
きっといち氏はタカちゃんかタカちゃんから話を聞いたLとかから聞いたんじゃないかと思う