一月は長く感じたけど、ようやく二月か。二月になると節分が父の誕生日で、そうこうしているうちに三月になって、二十日は母の誕生日である。生きていたら八十半ば。八十代で元気な人がたくさんいらっしゃるのに、なぜ我が両親は七十代で逝ってしまったのかと、お年寄りに出会うたび思うのだった。ご両親がお元気な方、どうかたくさん話し、大切にしてあげて。居たらいたで口煩いが、居なくなると寂しいものだ。
しかし、後藤さんのニュースは悲しいな。起きてTwitterを開いたら、生首の画像。フォロワーさんにデリカシーのない残酷な方がいるとわかって、それも悲しかった。
後藤さんがご無事で帰国したらバッシングなんかしないでって書くつもりだった。
Twitterかこのブログに書いたか忘れたけど、震災後に郡山市の避難所へ取材に行ったら、赤ちゃんの写真を撮ってるお兄さんがいた。背が高く、優しい笑顔で赤ちゃんにカメラで撮ってらした。素敵な方だなって思っていたら、『報道ステーション』か何かで出てて、後藤健二さんだって知った。以後も、原発事故で避難なさってる方の取材もされていた。
後藤さんが湯川さんを探しに行った行動力に、彼の勇気、勇敢さにただただ頭が下がる思いだ。
彼の素晴らしさを今頃になって、多くの人たちが知ることとなるなんてちょっと残念だけど、これから語り継がれるはずだ。
後藤さんみたいなジャーナリストはこれからもしかすると報道の自由が奪われてしまうかもしれないという懸念が出てきた。これはあってはならないことだ。私たちの見えない情報や知りえないことが、受け取ることが出来なくなるのはあってはならない。
後藤さんに安らかな眠りを。光あふれる世界へ導かれますように。
ご冥福をお祈りいたします
ブルーハーツ / 1000のバイオリン (1993.5.3):
http://youtu.be/Bl2TqxLBg1w
後藤さんにこの曲を贈ります
たくさんの拍手ありがとうございました!
たくさんメッセージ書いてくださってレスしきれない
最近のコメント