空木が咲く前に 五十五

「俺たちの仲間になってよ。ね、こじろーさん」

曇りのない琥珀色の瞳が、じっと俺を映す。それは艶々としていて、舐めれば甘そうで、人間味のない瞳だった。

「こじろーさん?」

こてり、とゆっくりとした動作で明は小首を傾げる。サラリと揺れる赤い髪の毛は赤く染めた金糸のように艶やかで。俺は改めて明が人間味のない容姿をしているのだと知った。今まで人らしかったのは、明がそう振舞っていたからであり、アキレア自身はそうではなかったのだろう。作り物の『明』を脱ぎ捨てた『アキレア』は、平坦で凹凸のあり、無臭の色香が香る、そんな存在だった。

アキレアの瞳をじっと見ていると、何故だか鼓動が早まっていく。恐怖が先に立ち、欲情がそれを追いかけ、俺の中には混乱だけが残った。

「はは、お前が身売りだけで見逃された訳が分かった気がする」

一つ例えるならば、道を歩いていてとても魅力的な石が転がっていたら人はそれを拾ってしまうだろう。そして手にしたその石が、誰も見たことのなく、それでいて価値があると誰にも思わせるような石だったら、それを胸元にしまい込んでしまうだろう。決して盗られないように。しかしそれは石ではなく人であり、意思がある。ここから出してよ、一晩だけ貴方の物にしていいから。そう言われて、断る事が出来るだろうか。明ではなく、アキレアにそう言われて。

アキレアはゆるりと瞼を閉じた。俺はそれを名残惜しくただ見ていた。

手を伸ばすのは簡単だった。アキレアを掻き抱いて、押し倒すことも実行することだけは簡単だろう。だが、六三四の事を思うだけで、俺は押し留まれた。

パチリと目を開いた目の前の人物は明に戻っており、にっこり笑うと、それまで恭し気に握っていた俺の両手を離し、うすら寒い困ったような表情で胡坐をかいた。

「まあ、そう簡単にはいかないか」

「……例えばなしだが、俺がお前に手を出していたら、強請る気だっただろう」

「うん」

あっけからんと言い放った明に、俺は大きく溜息を吐いた。

「やはり誘っていたのか。明ではなくなっていたのは釣り餌か?」

「耳の人に通じるかは正直賭けだったんだけどね。でも、失敗して良かった。益々五六四さんが欲しくなっちゃった。木蓮の事、本気で考えてみない?」

「先ほどの言葉は本気ではなかったのか?熱烈な勧誘に感じたがな」

「いやあ、色仕掛け?しちゃう位には本気だったよ」

「やめろ、薄ら寒くて仕方がない。お前の言う『耳の人』 が俺ならば、蛇足だろう」

眉を顰めながらそう言うと、明はまあそうなんだけどさ、と口をへの字に曲げた。

「作り物も、長ければそっちの方が使いやすくてなあ。よくある話だろう?元々左利きの人間が、矯正されて、淘汰されて、右利きになるんだが、右利きでいることしか許されない時期が長すぎれば左手を使うことにしっくりこないことって。まあ、俺右利きだけど」

「つまり実体験に基づいていないから確証のない例え話なんだな」

「うん。だから、暫くは明でいさせてよ」

そう懇願する明は、何故だか悲し気に見えた。嘘とか本当とか、そういう物とは別のところから感じた。分からないでもない。想像だけなら出来る。自分らしく振舞うことを禁じられた、のだろう。話を鵜呑みにするなら。自分らしくいられたのは身売りの時だけ。明自身にも、嘘と本当を使い分けられているのではないのかもしれない。

「まあ、いい。−−で、いつ戻るんだ、玄は」

「ああ。多分今頃厠で……」

「いや、言わなくともいい。把握してしまったから」

男が 厠で 長時間席を外す。となれば、男なら理由は分かってしまう。あの蕩けただらしなく気持ち悪い顔を見れは理解してしまえる。

「いやだなあ」 

呟いたその言葉は重なり、そして薄ら寒くなかった。 まあ、今はそれだけでいいだろう。