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空木が咲く前に 二十五

奈湖の国は随分と暖かい。
海からの冷えた風が常の国の山脈によって防がれるからだ。
秋口にしては暑い気温に、水筒から小まめに水分を補給する。
そういえば、と言う必要もない暗い月丸には気がかりなことがあった。
しのぶの様態だ。
「なあ、そろそろしのぶも気が付いたころじゃないか?」
「えー?しのぶちゃんが気になるの〜?」
「当たり前だ」
そう即答すると、ふふふ、と妖艶に笑いながら梟はするりと腕を絡めてきた。
「……梟」
窘めるような言葉に、梟の腕の力はさらに強まった。
「おい」
「え〜?いいじゃん〜。どうせだから、お仕事しながら逢瀬でもしよ?二人連れの方が怪しまれないし〜?」
「いや、厳密にはもう一人いるのだが」
「暮麻はいてもいなくても同じじゃん。喋らないし」
「確かに無言だが、それが逆に怖いというか……」
「え〜?月丸ったら怖がりだね〜」
梟は軽く受け流したが、月丸は背後からひしひしと殺気にも似た視線を感じていた。
道端のおばちゃんが「三角関係よ!」「二人も連れているなんて、どんな色男かしら」などと噂話に色めき立っているが、そんな可愛らしいものではないし、残念なことに色男でもない。
小さな好奇心から背後を確かめたのだが、それを俺は壮絶に後悔した。
般若が、いた。
あれはまごうことなき般若だ。
横紙を唇で食み、指は常に柄にかけられ、瞳は悪鬼羅刹のごとく爛々と輝いている。
呪怨のように何か呟いていたが、それに耳を貸すのは躊躇われた。聞いたが最後、戻れなくなりそうだった。いや、もう遅いのかもしれない。暮麻からの殺気は、それほどに強い。
ならば、と腹をくくり、俺は暮麻に向き直った。
「いったい何を怒っているのだ?」
「……、……。……。……。」
「聞こえないのだが」
「……お ま え の 心 に 聞 け」
そう強く言葉にし、暮麻は再び呪怨を発し始めた。
「何が何だかわからない……」
それは俺の心からの言葉だったのだが、暮麻からの殺気はザワリと強くなった。
「いったい何なんだ……」
重い、重ーい溜息を吐くと、隣の梟が意地悪そうに微笑んだ。
「月丸は無知だってことだよ〜」
「むち……?」
「分からないならそれでいいかな〜。私にとっては好都合だし?」
「意味が分からない……」
その後、酒場などを回ったのだが、暮麻に怯えた店員や客が逃げたせいでたいした情報を得ることはできなかった。
そこまでは、良くはなかったのだが、最悪ではなかった。
最悪は、その後に襲いかかってきたのだ。
「どういうことだ、明」
「そのまんまの意味っすよ。ここは通せません」
宿屋の端にある、喧騒から遠ざけられた一室。そこにしのぶがいるらしい。らしい、というのは俺が実際にその部屋に入ったことがないからだ。
明はその部屋に続く廊下で、通せん坊するように両手を広げていた。それも、笑顔で。
「何故、俺が部屋に入ってはいけないんだ。理由を説明しろ」
「理由ねえ……。分からないのか?」
「何がだ」
「入れてはいけない理由」
「……分かるわけがないだろう。説明も何もされていないのだから」
「はぁ」
大げさに溜息を吐かれ、理解できない困惑と憤りに体を支配される。
「貴様……!」
胸倉を掴み、引き寄せるように顔を近づける。いきなりの動作だったが、明は倒れることなく平然と笑って見せた。
「楽しいか、こんなことをして」
「それ、そのまま月丸さんに返しますよ。楽しいですか?」
「楽しいわけがないだろう!お前は、俺をおちょくってそんなに楽しいのか!?」
「おちょくっている?そんなわけないでしょ。言わないとわからないですか?俺は、あんたに怒っています」
「――何故だ」
「それも言わないとわかりませんか?」
そう囁いた明の顔に浮かぶのは、明らかな嘲笑だった。その容赦のない表情に、ぞくりと肌が粟立つ。感じたのは、明確な恐怖。いつも笑って、従順で、ほんの少しからかうような表情は、微塵も浮かんでいなかった。
「じゃあ僭越ながら俺が説明させていただきます」
紳士的な動きで、やんわりと俺の手をどけて明は笑った。
「月丸さんがしのぶちゃんを困らせているから、俺も姉御も怒っているんですよ」
「しのぶを……?」
「ありゃ、まだ分からない?」
明は呆れたように首を振り、目を細めた。
「しのぶちゃんが倒れたのは、月丸さんのせいだ」
「なに、を……」
「梟さんも悪いっちゃあ悪いんだけど、それはまた別として。後で怒っておく。でも、月丸さんは一番いけない。一番しのぶちゃんを困らせてはいけない。それが分からないのなら……」
「私が、貰ってしまいましょう」
涼やかな声に明の背後を見やると、銀髪の麗人が微笑んでいた。
「な、に……?」
「宿木さん。しのぶちゃんはもういいのか?」
「しのぶさんは今眠っておられますよ。経過は好調です」
「おい、宿木と言ったか?どういうつもりだ」
宿木に駆け寄ろうとすると、明の太い腕に阻まれた。明はあくまでも阻むつもりらしく、押しのけようとしてもびくともしない。
「おや月丸さん。どういうも何も、そのままの意味です。では、明さん。そのまま月丸さんを緊縛してしまいなさい」
「「え」」
俺と明の声が重なった。
それだけ唐突で脈絡のない言葉だった。
「俺、縛り方知らないんだけど……」
「ぐるぐる巻きにしておけばいいんです。解けなくても、暮麻さんがいるでしょう?」
「ああ……姉御危機一髪か」
「なんだその不審な名前は!というか縛られる前提で話を進めるな!」
「姉御危機一髪ってのは、姉御がぐるぐる巻きにした敵の縄だけを切れるかどうかっていう遊びで。姉御がわざと切るかどうかも賭けるという心理戦が行われてですね……」
「そんな怖い話しながら縛るな!!!!おい明、いい加減にしろ!!!!!」
「俺、宿木さんには絶対服従なんで……」
「そういうことで」
「やめてくれええええええええええええええええええええええ!!!!!」
俺の心からの叫びは、空しく響いた。

空木が咲く前に 二十四

「どいてよ宿木さんー!」
「うふふ、駄目ですよ」
「ぐぬぬ……。あ!さっき廊下を美人なお姉さんが通ったよ!すっごい綺麗な人!」
「そんな手には引っかかりませんよ。しのぶさんは寝転がっているだけでいいのですから」
「いーやーだー!」
「もう、仕方ありませんねえ……」
「……なあ。声と物音だけだと手込めにしようとしているように聞こえるんだけど」
「へ……?」
戸の向こうから聞こえる明さんの声に、はっと我に返り赤面する。
「そ、そんなんじゃないよ!宿木さんが退いてくれないだけで……!」
「楽しいですねー、可愛い子の相手は。うふふふふ」
「か、かわ……!?」
「宿木!おふざけはやめて!俺が悲しくなってくるから!」
混沌としてきた。更なる混乱を防ぐためにまずは状況を整理してみよう。
ここは、奈湖の国(依頼してきた領主様が治める国)と常の国(私たちが住んでいる国)との境にある宿町だ。
そこの三部屋を借り、一室は私が軟禁され、一室は女性用の部屋、一室は男性用の部屋となっている。
一室を自分一人で占めてしまうのは心苦しい……のが普通なのだろうが、宿木の存在によってその感情は海の向こうまで吹っ飛んでいる。
――で、本題の私と宿木さんの状況だ。
本当に誤解して欲しくないのを最初に言っておこう。
……馬乗りになっているのだ。宿木さんが、私に。
「や、ややややっぱり退いてよぅうううううう!!!!」
ちょっと涙が浮かんできた。
何が楽しくて意中の相手以外からこんな体制を強いられなければならないのだろうか。
ただ、宿木さんからは全くと言って良いほど性的なものは感じられない。感じられないのだが、問題はそこじゃない。
「なんで馬乗りなの!?」
そう、それなのだ。
力の限り叫ぶと、宿木さんは少し困ったように笑って言った。
「切ないことに、私は非力でしてねえ。万全でもないしのぶさん相手にでも負けてしまいそうな程非力なのです。ですから、一番力がこもる体制をしているんです」
「確かに、上に乗られると体重がかかって押し付けやすいけど……じゃなくて!この体制は駄目だと思う!」
「おや。なぜですか?」
「破廉恥だよ!」
そう叫ぶと、戸の向こうからくぐもった嗚咽の音が聞こえた。もしかして明さん泣いているのだろうか。
「ふむ。確かにそうかもしれないですねえ。しかし、医者としては安静にしてくれないと言うのなら強硬手段を取らざるを得ないのですよ。しのぶさん逃げようとしますし。て言うか逃げましたし」
「うっ……」
確かに、三度ほど部屋から抜け出そうとし、成功させた。
宿木さんの話しによると、他のみんなは今奈湖の国の情報を集めているらしい。
常の国でも情報は集められるのだが、何やらよく分からないのだが鮮度が違うらしい。常の国では一手間遅れた情報が主で、最新の情報を仕入れているとかなんとか。
そういうことは、いつも六三四や五四六の役割なのだが、自分だけ休んでいるのは気が引けるのだ。
倒れた時は、もしかしたら死んでしまうのではないかとすら思ったが、宿木さんのとても苦い薬のおかげで症状は良くなっている。
だから私も、と思ったのだが、宿木さんは探知能力に長けた明さんを猟犬のように使い、抜け出す度に連れ戻した。
それが三度目までの話。
そして、とうとう宿木さんの強硬手段を取られる事になってしまったのだ。
――ちなみに、明さんは見張りとして戸の向こうにいる。何やら宿木さんには逆らえないようだ。
「私もこんなことはしたくないのです。分かってくれませんかね?」
「で、でも……」
「でもじゃありません」
「だって……」
「だっても禁止です。薬の効果で自覚症状は良くなっているかもしれませんが、しのぶさんが思っている以上に体力は低下しているんですよ」
「…………」
沈黙。
返す言葉がなかった。
宿木さんの言うことは真っ当だし、私の行動がどんなに幼稚なのか思い知らされた。
目を伏せ、返す言葉を探す。
でも、ごめんなさい、としか言うことができなかった。それも、とても小さな声だ。
それでも、宿木さんはちゃんと聞き取ってくれたのか、ゆっくりと私の上から退き、私の髪を撫でた。
「宿木さん……?」
「なんですか?」
声が、幾分柔らかくなったように感じる。
チラリと宿木さんを見ると、とろけるような顔で微笑んでいた。
「ごめん、なさい……」
もう一度、今度ははっきりと声に出す。
二度言わなくてもよかったのだろうが、ちゃんと伝えておきたかった。
宿木さんは、何も私が憎くてやったわけじゃない。自分の感情ではないのに、確信に近いものが私の中にはあった。
宿木はくす、と笑い、
「分かってくれればいいのです」
と優しく言い、その日は私が眠りにつくまでずっとそばにいてくれた。
ただ、そばにいてくれる安心感とともに、私の中には不安が残っていた。
誰もこの部屋に見舞いに来てくれないのだ。
「月丸……」
どうして、来てくれないのだろうか。

空木が咲く前に 二十三

世界が揺れている。弧を描くように揺さぶられる。
それは左右にだったり、前後にだったり、不規則なものだ。
ぐわんぐわんと揺さぶられて、体がどんどん重くなる。
沈んでいるのだ。弧を描きながら、螺旋階段のように落ちていっているのだ。
どこへ行くのだろう。どこまで落ちていくのだろうか。
そう問いかけようにも、唇さえ重い。
もう、この身を委ねてしまおう。そうしたら、きっと、楽になれる。
月丸のことも、梟さんのことも。もう何も案ずることはないのだ。
落ちて、落ちていけばいい。
すぅ、と体の力を抜こうとすると、どこからか優しくも頼りがいのありそうな手がにゅーっと伸びてきて、私を抱き止めた。
落下は止まった。
あなたは、だれ……?



「あ、気付きましたか?」
清涼な河を思わせる落ち着いた声。
誰だろう。その好奇心だけで、私は重い目蓋を押し上げた。
辺りはほんのりと薄暗い。太陽の色からして、夕暮れだろうか。
「だ、れ……?」
部屋の中には私を除いてただ一人しかいなかった。
その人物は、背中まである真綿のように白く、絹のような質感の髪に、兎を思わせる真っ赤な瞳。
体つきは細く。しかし丈夫な木のようなしなやかさを兼ね備えている。
一見女性的な風貌だが、肩も腕も顔の曲線も、女性のものではなかった。
「宿木、といいます。自己紹介をする予定ではなかったのですが……まあ、こうなっては仕方がありませんね。具合はどうですか?」
宿木と名乗った男性は、私の枕元に移動すると、医者のように私の額に手を当て、優しく微笑みかけた。
「えと、体がすごく重いけど、痛いところは……頭がちょっと。あと胃が痛いです」
「ふむ……。心労と熱中症との併発ですかね?暑さは和らいできましたが、水分はちゃんととらないといけませんよ?」
「――宿木さんは、お医者様なの?」
そう問いかけると、宿木はフワリと笑った。
「いいえ?知識はそこらの者には負けない自信はありますが、本業は違います」
「本業……?」
「はい。文字書きをしております」
始終笑みを絶やさない宿木だが、私にはある疑問が浮かんだ。
「私以外に七人いたんだけど、みんなはどこにいるの?」
そう、ここには旅の連れが一人もいないのだ。
ここは狭い部屋だが、誰もいないというのは不思議でしかない。
私が気を失っている間にどこかに移動させられたのは確実なのだが、その移動させた人間がいないのだ。
もしかして、と嫌な予感が頭をよぎった。
もしかして、倒れた私を見捨ててみんなは先へ進んでしまったのではないだろうか。それで、行き倒れているところを宿木に助けられたのかもしれない。
ザッと顔から血の気が引いた。
しかし、そんな私とは対照的に、宿木は笑みを浮かべたままこう言った。
「ここに七人の中の一人、いますよ?」
「……へ?」
そう言われて室内の気配を探ってみたが、気配は私と宿木以外にはない。
「おやおや、寂しいですね。短い間とはいえ一緒に旅をしてきた仲なのに」
「一緒に……?」
因みに私以外の七人の内訳はこうだ。月丸に梟さん、むさし、こじろー、お姉さん、明さん、そして…………、
「あ……か、笠の人!?」
そう叫ぶように言うと、宿木はにっこりと笑った。
「ええ、そうですよ。正解です」
パチパチと拍手までされて、私は逆に恥ずかしくなった。これではまるで幼子のようだ。
「まあ、大きな笠にを被って、更に身を隠すように布を垂らしてましたから、分からなくても仕方ないのですがね」
でもちょっぴり寂しかったですよ、と宿木はおどけるように囁いた。
「そっか……。でも、気付かなかったなんて、忍者として失格だよ……」
「まあまあ。寝起きでぼんやりしていたのでしょう。ああ、それより喉は渇きませんか?水を持ってきます」
「あ、それくらい私が……」
「病み上がりなのですから、安静にしていてくださいよ。それに、弱っている時には、誰かを頼ってもいいのですよ?」
「あ……」
「絶対安静。ですからね」
そう言って宿木は部屋から出て行った。
わざわざ水を取りに行ってもらった申し訳なさより、私の頭には宿木の言葉が反響する。
『誰かを頼ってもいいのですよ』
頼ることは、申し訳なく思っていた。
月丸に釣り合うように、と今まで背伸びをしていた私には、魔法のような言葉だった。
不思議なことに、宿木の言葉は私の心に優しく響く。
でも、
「甘えられないよ……」
そう言って、私は唇を噛んだ。

空木が咲く前に 二十二

木漏れ日の影の濃さで、私はふと季節の移ろいを感じた。
草木の彩でもなく、鳥の鳴き声でもなく、それで私は秋になっていっている、と感じた。
なんでだろう、と一瞬だけ考えてしまったが、それはいらない思考の動作だった。
足元ばかり、見ているもんな……。
緩くため息を吐き出し、隣の二人を見やる。
手押し車の荷台に腰かけて、手押し車を右後ろから押している月丸と楽しそうに会話をする梟さん。
ああ、眩しい。二人が日向にいるせいなのか、余計に眩しく感じる。
眩しくて眩しくて、涙がジワリと視界をゆがめる。
「嫌だなあ……」
先日梟さんに宣戦布告をしたものの、私はと言うと何も行動できてはいない。寧ろ前よりもずっと引っ込み思案になってしまっている。
怖いのだ。明確な敵を作ったことが。それも、自分では敵いっこない相手だから。
怖い。とても怖い。初めて剣を突き付けられた時のように恐怖が体を包む。
包まれたと自覚した途端、寒くもないのに手が震えはじめた。
「っ……!」
周りには悟られないように両手で抑え込もうとするが、二つの震えは共鳴しあうように大きな震えとなっていった。
「っあ……!?」
滲む。視界が滲む。世界が滲む。
怖い。
私が無くなってしまいそうだ。
内側に押し込まれた感情が爆発して、私が粉々になってしまいそうだ。
ああ、この身の内を全て吐き出してしまいたい。月丸に触らないで、話しかけないで、笑顔をもらわないで。
フツリと途切れそうになった意識の寸前、私を暖かさが包み込んだ。
「月丸……?」
いや、違う。
これは、違う男の人の匂いだ。
誰の匂い……?
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