2012-12-25 00:42
「うーん……」
いつもより少し暗めな照明。
しかし不便というわけでもなく、絶妙なバランスの間接照明。机の上ではろうそくが揺らめき、道路に面するこの二階では、テールライトが微かにちらつく。
女の子なら誰でも憧れるようなシュチュレーションだ。その席の向かいに好きな人がいるならなおさら。
しかししのぶの心は晴れてはいない。
肝心の相手が白目をむいて気絶しているからだ。
「月丸ー」
一応声をかけてみるが、反応はない。
「ねえ、起きてよ、月丸」
「……」
「……はぁ」
ひとつため息をつくと、階段の下から暮麻さんがやってきた。銀色のトレイの上に、綺麗な料理を載せて。
「お待たせいたしました」
そう言いながら、暮麻さんは優雅な動きでお皿をテーブルに乗せる。
「え、私料理頼んでいないよ?それに、こんなに高そうなのは……」
「いいんだ。これも『サプライズ』 だからな」
「え……?」
「これを殴ったお詫びだ」
そう言いながら、暮麻さんは月丸の頭を小突いた。
すると、漸く意識が戻ったのか、月丸の瞳がグルンと正常な位置に戻った。
「え……あ、あれ……俺はいったい……?」
「おはよう、月丸さん。長いお昼寝をしていたようで」
「あ?ああ……?と言うか、ここはどこだ?」
「お兄さんのお店だよ、月丸。暮麻さんが月丸をここに連れてきてくれたの」
「そう、なのか……?」
「ではごゆっくり」
暮麻さんは、道場にいるときのように、す、と一礼して戻っていった。やっぱり綺麗な所作をするんだな、と思いながら見届けてから、月丸に視線を戻す。
「ごめんね、驚かせるようなことをしちゃって。暮麻さんもね、悪気があったわけじゃないと思うんだ」
「まあ、俺も怒っているわけではないが……これはどういう状況だ?」
単刀直入に聞かれて、ボッと顔が熱くなるのを感じた。
「えと、えっとね……」
もごもごと、言葉にならない言葉が口に出る。しばらく視線をさまよわせて、その度に月丸の顔を見ようとして、でもやっぱり緊張でそれができなくて、月丸のネクタイあたりを見つめながらやっとの思いで言葉を発した。
「せっかくのイブだから……その……月丸と過ごしたいな、って……」
「え……」
「でも、家じゃあそういうことできないし、困っているときにお兄さんがカフェを使っていいよ、って言ってくれて、その……。わ、私もね、こんな大掛かりになるとは思ってなかったけど、お兄さんたちが色々してくれて……。――迷惑だった?」
上目がちにそう問いかけると、照明のせいか、月丸の顔も微かに赤くて。その上嬉しそうな顔をしていたから、私はもう天にも昇る心地だ。
「迷惑なんかじゃない。もしかして、朝から出かけていたのは……」
「それはまだ秘密なの!」
「そう、なのか?」
「うん。……怒った?」
「いいや?楽しみだ」
これはクリスマスの魔法なのだろうか。そう思えるほど、嬉しすぎて胸が苦しい。
「えと、じゃあ料理が冷めちゃうから食べよう?」
「ああ、そうだな」
それから、名前もわからない美味しい料理に舌鼓を打ちながら、月丸といろんなことを話した。
内容はとてもとりとめもないもの。学校であった出来事とか、テレビの内容とか、剣道の話とか(剣道は二人の共通の特技だ)。
普段話していることとそんなに変わらないのに、何故か特別な物に感じた。
喋りながら食べているからゆっくり食べていったはずなのに、料理は次々となくなっていった。
イブということで、もちろんチキン料理も食べた。
どれも美味しくて、話す内容が楽しくて、切ないほど嬉しくて。
料理はとうとう最後の物になった。
「しのぶ。取りにおいで」
「あ、はい!」
「ん?」
少し不思議に思っている月丸を置いて、私は暮麻さんに導かれるようにキッチンに向かった。
「私が持って行ってもよかったのだが、どうせならお前が持って行った方がサプライズになるだろう?」
「そうだね……。月丸、喜んでくれるかな……」
「ああ、喜ぶさ。しのぶちゃんがこんなに頑張って作ったんだもの。もしこれで喜ばないなら……」
「「「一発食らわせる」」」
「明さんまで……。ふふふ、それじゃあ三発になっちゃうよ!」
「うん。やっぱりしのぶちゃんは笑顔の方が似合う!」
「転ばないように気を付けろよー?」
「はい!」
そう言って、私は踵を返した。
階段の一段一段を、慎重に登って行った。
コツン、コツン、と靴音がホールに響く。階段を半分とちょっと登ったところで月丸と目線が合う。
知らず知らずのうちに体に力が入る。それでもゆっくり、おちついて、と言い聞かせながら階段を登る。
が、
「あっ……!?」
最後の一段に足を取られ、グラリと体が傾く。
しまった、と思う頃にはもう遅かった。
皿に乗せてあったケーキは一瞬宙を舞い、そして、ぐしゃりと無残に崩れてしまった。
「うそ……」
躓いた拍子に膝を打ってしまったが、痛みなど脳に到達していなかった。
「うそ、だ……うそだぁ……」
ボロボロと、涙が溢れてくる。
視界が歪んで、歪んで、ぼやけて。
このまま世界も崩れてしまえばいいのに。そう思えるほど、自分はバカなことをした。
「う……ぁぁ…………!」
「しのぶ」
「やだ。やだやだやだやだ!見ないで。こっちこないで!」
「……もしかしてこれ、お前が作ったのか?」
「そ、う……。でも、もう、こんなになっちゃて、も、やだ、も、やだぁ……!」
「しのぶ」
「う、うぇ……」
「顔、上げろ」
「やだ……」
「上げろ」
「う……」
そう言われて服の裾で涙を拭きながら顔を上げると、月丸は何の躊躇もなく、床にこぼれたケーキを指ですくい、口に含んだ。
「月丸……!?」
「美味い」
「だ、駄目だよ……!こんな、汚いの……!」
「汚くない。確かに崩れてしまっているが、俺はちゃんと崩れる前のケーキを見ているし、こうやって食べている。それじゃあいけないのか?」
「で、でも!私は、ちゃんと綺麗なのを月丸にあげたかった!」
「でも、気持ちはちゃんと届いているぞ」
そう言いながら月丸は私の手を取り、立ち上がらせた。
「お前、料理苦手だっただろ?それなのに、こんなに美味しいケーキが作られるようになったんだ。相当努力をしたんだろう?」
「う、ん……」
「なら、それだけで俺は嬉しい。お前の気持ちが嬉しいんだ。それから……」
「?」
月丸はジャケットのポケットから小さな箱を取り出した。
「え、これって……」
「お返しになるかどうか分からないが、お前に受け取ってほしい」
そう言いながら箱を開けると、中には指輪が入っていた。
小ぶりだが、キラキラと照明を反射するダイヤが真ん中に入っているシンプルなデザイン。
「月丸……」
「しのぶ。俺と付き合って欲しい」
「え……?」
「十一も年の離れた俺だが、もっとお前のそばにいたい。……だめか?」
「え、えと……」
まっすぐに私を見つめる月丸の表情は真剣で、冗談なんかじゃないって嫌でもわかった。
心臓が破裂しそうだ。体から飛び出して、宇宙の果てまで行ってしまいそうなくらい、心臓は脈打っている。
「え、えと……」
頭がぐるぐるする。さっきまでケーキが台無しになって、全部全部台無しになったような気分だったのに、こんな展開になるなんて。
「夢、じゃない、よね?」
こんな幸せな展開があってもいいのだろうか。
嬉しくて嬉しくて、また涙が溢れてきた。
「泣くなよ……」
月丸の無骨な指が私の涙を掬い取る。
嬉しくて嬉しくて。苦しいくらい嬉しくて。私は月丸に抱き着いた。
「しのぶ。返事は?」
「こちらこそ!月丸、私と付き合ってください!」
それから私たちはしばらく見つめあって、月丸は壊れ物に触れるように私に唇を重ねてきた。