空木が咲く前に 五十四

「……良かったのかなあ。良くなかったよなあ」

明はそう呟きながら、三杯目の茶を啜っていた。胡坐をかきながら暫く思案している様子だったが、俺が敢えて何も返さずにいるのをちらりと見て、一つ嘆息。そして両手を後ろにつき、天井を仰ぎ見た。

「なあ、五六四さん。分かっているんだろ?」

その問いにも俺は何も返さなかった。ただ、明のほうを見ているだけで、求められていることを承知の上で答えなかった。

「無視?なあ無視すんの?あー、悲しい!」

そう盛大に、いっそ芝居がかった様子で明は俺の膝の上に頭を預ける形で寝転がった。表情はまるっきり不貞腐れた子供のそれだったが、今となってはうすら寒く感じる。

「ねー、こじろーさーん?」

強請るように上目遣いで見られても、俺は応えない。ただ見るだけ。明の一挙一動が、表面上のものなのか、それとも本心から来ているものなのか、それをじっと見定める。それだけで十分なのだ。

楽しい。ああ、楽しい。

自分自身の応えなど必要ない。何もしなくとも明は道化のように演じてくれる。ころころ変わる表情は、初対面の時は鬱陶しい動作だと感じていたのだが、それが演目だと思えば愉快だ。

「……やっばいの分かっちゃったかもしれない」

そう困ったように呟く明に、俺はおやと思った。うすら寒くない。第六感にも似たそれだが何故か確信が持てた。

「あーあ、やっぱり。自分のこと分かるのは自分だけだもんなー。でも分かっちゃう人いるよなー。分類したがりって言うか」

明のその言葉に、俺はぱちくりと瞬きをした。うすら寒くないが、明が何を言わんとしているのか少しだけ分からない部分があった。

そんな俺をにやにやと笑いながら明は見つめる。少し待ってみたがそれ以上の動作はない。応えろ、ということだろう。

「……どういうことだ?」

ゆったりと間を持ちながらそう聞き返すと、明は俺の膝の上でニタリと笑った。策略、というほど大きいものではないが、勝ったと言わんばかりの表情だ。

「五六四さんが、耳の人ってことだよ」

「……耳の人?」

聞き慣れない、というより全く聞いたことのない言葉だった。単語自体はとても分かりやすいのに、それが何を意味するのかが分からない。もう一度聞き返した俺に、明はもう一度勝ち誇るような表情を見せ、ガバリと頭を起こした。

「俺たち木蓮の中でそう分類している人種だよ、耳の人ってのは。聞くことに特化した人間でありつつ、その真偽を直感的に分かっちゃう人。因みに今俺はどっちだと思う?」

「……」

応えようとしたが、俺は口を噤んだ。自分を省みたからだ。明の『言葉』には嘘を感じられなかったが、表情や口ぶりはうすら寒くて。そして−−そう感じている自分が『異常』だということにも。

頭が可笑しくなってしまったのだろうか。否、それより馬鹿になってしまったと言ったほうが正しいのだろう。自分に、他人の言葉や言動が本物かどうか分かるだなんて、分かったつもりでいたなんて、俺のほうがよっぽどうすら寒い。

口の中が気持ち悪い。粘っこく感じる。一番気持ちが悪いのは自分自身なのだが。明の言葉を肯定しそうになった自分を恥じながら、俺は明に返した。

「分からないな。全く分からない。お前が何を言っているのかさえ分からない。耳の人?訳が分からない言葉を出して俺をからかっているのか?」

少し矢継ぎ早になってしまったことを理解してしまい、余計に自分が恥ずかしくなった。

顔は赤くなってはいないだろうか。汗をかいてはいないだろうか。それを確かめるために、何気なく頬に触れると、ほんの少しだけ熱くなっていた。

明はそんな俺を愉快気に見て、ふふんと勝ち誇る。

「からかうならもう少し趣向を凝らすよ。−−ん?凝らさないほうが俺らしい?まあいっか。でも五六四さんの反応って当たりだろ?自覚あるんだろ」

ずいずい近寄ってくる明の瞳が、赤みを増している。にやついている口元は本当に嬉しそうだと感じた。否、違う、分かってはいけないのだ。そうは思うものの、俺は明から視線を逸らせない。

「視線は興味。俺の言っていることに少しは興味をひかれちゃってる?なら言うけどさ、五六四さんは異常だけど異常じゃない。真っ当な人間じゃないしいいよね?」

「何を言って……」

「忍びで、修羅場潜っている人には偶にあるんだよ、変な事が出来る人。ま、普通の人でもいなくはないんだけど」

「違う、俺は……!」

「ああ、ごめん。当たり前提で話すのが気に入らない?でもやめない。今も、五六四さん選別中だろ?目がぐるぐる移動してる。本当か嘘か、五六四さんが一番分かっているんだろう?」

「ちが……」

「ねえ、五六四さん。自分を一番理解できるのは自分しかいないんだよ。俺、嘘を言っているように見える?」

見えない。見えないから答えられないというのに、それをわかっているのに、こいつは、明は、無邪気に、楽しそうに笑っている。本当とウソが混じった、気味の悪い顔で笑う。明が昔話で語った言葉がふと脳裏をよぎった。『理解できるからこそ恐ろしい』という言葉が。

明はにこりと笑い、そのまま両の指で角を作り、がおお、とふざけた調子で言った。

鬼め。−−そう感じた俺の心情を的確に表すように。

「あはは、ふざけ過ぎたかな?で、こっからが本題なんだけど」

そう告げると、明はふっと表情を落とし、俺の手を、手汗にまみれた俺の両手を恭しく包み、嘘の全くない、『アキレア』の顔でこう言った。

−−俺の仲間に、木蓮にならない?