2014-2-27 05:22
苦くて苦いカプチーノ。浮き足立っている周囲に対し、唯一のように苦いその液体は、私がここにいると感じさせる存在だった。
砂糖は焦げ茶色のテーブルに置かれているが、私は敢えてそれには手を着けずにいた。
なんせ、
「明さんこっちこないかなぁっ」
「オーダー追加してみる?」
「君の方が世界中のショコラより甘いよ……なーんて!キャーッ」
夢見る女子たちは恐ろしい。
私の中では、呼べば飛んでくる犬のような明なのに、実際そうなのに、彼女たちの中で明は王子様のような存在になっている。
「なーにが世界中のショコラより、よ〜」
明がそんなこと言うようなキャラではないことは、私が一番知っている。
確かに、赤毛に琥珀の瞳というのは、彼女たちの妄想に拍車をかける程綺麗だけど、それは見てくれだけだ。中身まで物語の住人ではない。
まあ、レディーファーストを思わせる外国育ちの行動はあるのだが。
「んく……」
残っていたカプチーノを飲み干し、店を忙しなく動き回っている店員に新しいカプチーノを頼み、スマフォを取り出す。
『店来た。何かおごって』
その短い文面をメールにして明に送ると、私はテーブルに頬杖をついた。
私が来たのに待たせるなよ。チョコレート溶けるんだけど。
無性に腹が立ってきた。
その苛立ちを紛らわせるように、アクション系のアプリに熱中する。敵に大砲を当てるという、簡単だが素早さを求められるゲームを淡々とこなし、新しいカプチーノを一口。ゲームは時間が経つに連れ、難易度が上がっていく。そろそろ片手では厳しくなってきた。
そんなことをしていると、ふと店内の空気が変わった。
「梟さん!」
白いコックの衣装に赤い腰巻きのエプロン。人懐っこい笑みをだらしなく浮かべた明は、足取り軽く此方に向かってくると、テーブルに茶色くて甘い匂いの液体が入ったカップと、サラダとステーキを載せた盆を手際よくテーブルに乗せていく。
「ごめん、これ作ってたら遅くなっちゃった」
「これ何〜?」
「えっと、こっちはホットチョコレート。で、マリネにローストビーフのチョコレートソースがけ。バレンタイン特別メニュー」
「へ〜。ステーキかと思った〜」
「まあ、断面図って似たようなものだしな。あ、ステーキの方が良かった?」
「……こっちでいい」
「そっか」
そう言いながら、明は私の頭を撫でた。
そこにはほんわりとした愛情しかなくて、少し物足りない。
「ん、どうした?」
「……明、あのね」
「あ、明さん!」
続く言葉は、本当にもう精一杯みたいな表情の女の声に遮られた。真っ赤に染まった顔。可愛らしいメイクに、ふんわりと巻かれた茶髪。背伸びするようなミュール。
恋をする女の子だ。
他人ごとのようにそう思った。
彼女は緊張しているのか、ギクシャクとした動きで此方にやってきて、明に向かって可愛らしいピンクの箱を突きつけた。
「あの、これ!受け取って下さい!」
「へ?えっと……うん、渡しておくよ。誰に?」
穏やかな笑みでそう応える明は、それが精一杯の牽制だと私には分かった。
だけど、駄目だよ明。
「違い、ます!明さんに渡したいんです!」
この店に、この日にやって来た女の子が、生半可な覚悟をしているわけないじゃん。
「……っと、ありがとう、義理でも嬉しいよ」
「ぎ、義理なんかじゃ……」
「本命なら、受け取れない」
「え」
「俺、好きな人いるから」
「……なら、思わせぶりなことしないでよ!最低!」
パシン
乾いた音が店内に響く。
「……最低なのはどっちよ」
カタン、と音をたてて私は立ち上がった。
それに怯えるように、名も知らぬ女は半歩下がった。
「っ、だ、だって」
「だって?……は、笑わせる。そうやって夢の中の恋愛したいなら、私を蹴散らす覚悟できなよ」
「は……?なに、あんたみたいな子供が明さんの恋人なわけ……?こんな、ガキに……私は……」
「ガキなのはどっちよ。他人の物を勝手に傷つけちゃあダメってママに教わらなかったの〜?」
「梟さん、もういい」
「……そこの椅子に、私からのチョコ、置いてあるから。帰るね」
「え、梟さん……?」
「ごめんね〜騒がせちゃって〜」
「ちょっとまっ……」
「じゃあね〜」
そう言うと、カウンターにお金を置いて、何も言わず、ドアを開けた。
カランカランとなるドアベルは、どこか寂しく聞こえた。
……悔しかった。
明は大人なのに、何で私は子供なのだろう。ガキと言われた時、一瞬体が固まった。高校生なんて、ブランド物のように感じていたけれど、実際はそんな物じゃなかった。ただの子供というレッテル。大人からしたら、なんて弱い存在なのだろうか。
明と同い年だったら良かったのに。
そう、初めて感じた。
歩く足がとても重い。
だけどあの場所にはもう居たくなかった。大人だらけのあの場所には。
「……っく」
服の上から、明に貰ったネックレスを握る。
ずるずるとしゃがみ込む。
町をゆく人々は、私を煩わしそうに避けて、なんだかひとりぼっちになった気分だ。
帰ろう。そう思った瞬間、ふわりと体が宙を舞った。
「え……」
「梟さん!」
「あき、ら……?」
「店に帰るよ」
「え、でも……」
「いいから!」
「ちょっと!」
明は、私を抱えたまま、器用にお姫様抱っこに体制を変え、ズンズン店の方向に歩いていく。
「梟さんは、もうちょっと俺を見直すべきだと思う!」
「え……」
「あんな軽いビンタ如きで俺が傷つけられたらとでも思ったか!ばーか!もっと凄い修羅場くぐってきたんだよあの店で!」
「は?」
「笑顔一つだけでストーカーされたことあるし、包丁持ち込んで乱闘された事もある!あの程度で空気壊したとか思ったか!?」
「え、いや、あの、ちょっと……」
「常連客はみんな慣れてる!」
「……もしかして、励ましているつもり?」
「それ以外に何があるんだよ」
「ふ……くくっ……あははっ!」
「え?」
ポカーンとした明に、さらに笑いがこみあがってくる。
「な、なにそのモテ自慢……!ふ、くくくっ……」
「え、いや、そういう意味じゃあ……!」
「分かってるよ……あー、もう馬鹿らしい!ウダウダ悩むなんてガラじゃないよね〜!」
「……じゃあ」
カランカラン。店のドアを明が開く。
「みんな聞いてくれ」
「!?」
「俺、この子と結婚します!」
「ちょ、明なにを言って……!?」
「婚前は何もなし!やってもキスまで!それでも結婚するまで我慢します!」
「え、あの……」
「だから、何もないように皆さんで監視して下さい!梟さん愛してる!」
「……いや、私も好きだけどさ、なにこのやり方〜」
「いっそ宣言した方が牽制になるかな、って」
「……頭悪〜い」
「嫌?」
「……しかたないって感じ?」
そんな事を言っていると、店の奥から真座が飛び出してきた。
「明くん!本気かい!?」
「え、うん、本気」
「よーし、じゃあいくぞ!野郎共!ピッチピチの女子高生な彼女が誘ってきても我慢出来るか―!?」
\無理でーす!/
え、なんで声そろってるのここの常連客。
「女性のみなさん!この二人の愛をどう想いますか―!?」
\純愛よねー!/
いや、だからなんで声が揃うの?
「では、二人を祝して……拍手!」
\パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ/
「えー……」
「……まあ、ここはそういう店なんだよ」
そう言った明の表情は非常に憎らしく、私はぶつけるようにキスをした。
実際口の中切れたけど。
まあ、悪くない…………………………………………………………………よね?