2012-10-13 03:49
とある日の朝方。
「梟さ……」
「はいはい、明くん明日の仕込みまだでしょう!」
とある日の昼間。
「梟さん!」
「明くん、お客さんが呼んでるよー」
またとある日の夕暮れ。
「き、梟さん!」
「はいはい、今日は団体さん来るから忙しい、でしょう?」
……と、このように、明は私との接触をおっさんに阻まれている。
事の発端は、今から約一週間前に遡る。
おっさんの自室。来るのは初めてではないが、改めて見ると、だだっ広い。そこの上座におっさんが煙管くわえて偉そうに座り、明と、ついでになぜか私もおっさんの前に座らせられていた。
おっさんは肺いっぱいに紫煙を吸い込み、吐き出しながらこう言った。
「――明くん」
「はい……」
「お給料前借りしたい、ってのはどういうことかな?僕、十分なくらいお金渡してるつもりだったんだけど。しかも今月に入って二回目とか、なにやってんのかな?」
「それは……」
言いよどむ明に、おっさんはチラリと目線だけ此方に向ける。
「きょーちゃん。何か言うことは?」
「私、悪いことなんてしてないよ〜?」
「していない……?」
おっさんの目が、ギラリと光る。
「してなくてこんな事になるわけないでしょ!僕知っているんだからね!きょーちゃんが毎日のように甘味屋巡りして、雪松屋とか大店のたっかいお菓子買いまくって、その代金を明くんに払わせていることくらい!」
「うっさいな〜。そんな大きな声出さなくても聞こえるよ〜?」
「これが大声出さずにいられますかああああああっ!!!」
ガンッ、と、おっさんは威嚇するように、煙管を灰皿に叩きつける。
明は馬鹿正直にビクリと肩を跳ねさせるが、私はそっぽを向いた。
「『笑顔』の条件は明も承知してるんだよ〜?なんで私まで呼ばれたの〜?」
「明くんにはもう言ってるの!何回も!なのに直らないからきょーちゃん呼んだの!明くんからせびるのやめなさい!」
「え〜……ウザッ」
「こ、この子ってやつは………っ!!」
「真座さん、落ち着いて!梟さんは悪くないんだ!」
「そうだよ〜」
「ええい、だまらっしゃい!もう、禁止!明くんときょーちゃん近づくの禁止!これは命令ですっ!」
……と、まあこういう経緯があって、明は今日もしょぼくれている。
しかし、私には実害はあまりない。
甘味はわざわざ買いに行く必要はないからだ。ここ団子屋だし。
ただ、いくら美味しいものでも飽きは来る。
飽きない工夫はされているのだろうが、それも一定の期間があれば、飽きは来てしまう。
そろそろ雪松屋の練りきりが恋しくなってきた。
「はぁ……」
なんで私がこんな思いをしないといけないのだろう。
なまじ贅沢を知ってしまったら、それから引き離されるのは、なんか、辛い。
からかう相手もいないし。
「はぁ……」
二度目のため息を吐き出すと、そっと机にお盆が置かれた。
それには、ホカホカのお茶と、少し不格好な練りきり。
ハッと顔を上げると、そこには笑顔を張り付けた……確か松という店員がいた。明じゃなかった。
「……これは?」
「明さんが作ったんだそうですよ。あと文を預かっていますよ」
「文……?」
お盆を見ると、確かに茶器に隠れるように二つ折りにされた紙があった。
「では、確かに渡しましたからね?」
そう言って、店員はまた仕事に戻っていった。
それを見送ってから、私は紙をそっと開く。
『格好までは上手くいかなかったけど、俺なりに雪松屋の味を再現してみた。大好きだよ、梟さん』
「……ふぅん?」
そう呟いて、練りきりを口に運ぶ。
すると、口に広がる上品な甘さ。すぅ、と鼻に抜ける感じ。後味の良さ。
舌が肥えていないから細かいことは分からないが、雪松屋の物に似ている気がした。
「……明のくせに」
大店の味を再現するだなんて。
そして、ふと思い出した。
明が、私が行く店々で「ひとくちちょうだい」と言っていたことを。
ああ、そうか。
明は、恋人ごっこをしたいのではなく、味を学ぶために一口を要求していたのだ。
「明のくせに……」
私はもう一度呟いた。
紙の端に小さく書かれた『今夜部屋に行ってもいい?』という分を見つけたから。