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空木が咲く前に 五十二・上

昔の俺は、普通の子供だった。

赤い髪と、琥珀色の瞳、それから他の子より大きな体。そんな外見的な事以外は、本当に普通の子供だった。

その子供の名前はアキレア。外つ国の花の名前で呼ばれ、その花言葉の通りに逞しく生きて行く様に想われていた。子供はそう信じて疑って居なかった。

その子供の父親は、子供と同じ赤い髪で。母親は子供と同じ琥珀色の瞳で。外つ国の者と隠せない風貌で、生き様も外つ国の者の普通だった。

子供の両親は、商人の子供として育てられ、拉致されて、見世物小屋で生きていた。今語った事の全てを知ったのは、子供が十になる頃だった。

いや、それはどうでもいい話だったな。

ああ、それで、子供もその風体だ、当たり前の様に足に綱を繋がれ、夜になると檻の中で、物珍しさと、畏怖と、ほんの少しの哀れみの目を向けられて育った。

しかし、子供はそんな暮らしに疑問も不満も持っていなかった。知らなければ不幸ではないというやつだな、その子供には、同じ頃の同じ境遇のトモダチがそれなりにいて。大人たちは変な匂いのする食事を与えられ、狂った様に子供を生み続けていて。子供が唯一不満に思っていたのは、特に綺麗で可愛らしいトモダチが、狙われる様に何処かに連れて行かれて、帰ってこない事だった。今思うなら、売られていたんだろうな。どこと言わず、誰と言わず、普通に外つ国の血を持つ子供として。

そんな日々が続いて、とうとう俺の番が回って来た。実際に山で引き渡されるその時まで、俺は売られるだなんて思ってもいなかった。

「前兆は無かったのですかい」

そう言えば、あるな。その数月前から食事が増えて、その分縄が届く範囲をぐるぐる走らされたり、重い荷物を運ぶ役になったり。体作りをさせられていたのだと思う。

でも、疑問には思わなかった。疑問を疑問と思っていなかった。そういう子供は何人かいて、俺もその中の一人だと思っていたから。まあ、全員売られたのだろうけど。

各地で鬼が出たと言われる事があるだろう?多分、似たような境遇の奴らだと思う。

「そうですかそうですか。さあさあ続きを。感傷に浸らず、ありのままを」

相変わらずだな、玄さん。

それで、山の……見晴らしがとても良かったから頂上辺りだろうか。そこで俺は売られた。

ーーその日からは地獄だったよ。

まず、獣の殺し方を、何度も教えられた。

罠、弓、小刀。

手段は段々直接的になり、それを捌くことが仕事だった。

一つ間違えれば一つぶたれ、二つ間違えれば二つぶたれ。

暴力だけは無縁だった生活を送ってきた俺は、ぶたれることを極端に恐れた。まあ、ぶたないよな、見世物小屋で商品をそうしないよな。

そんな日々が続いて、俺は簡単に獣を殺す方法を知っていった。首を掻き斬るのが一番だった。脳天を突くのも、大きいやつにはやった。そしてその獣を気に吊るして、血を落としきってから捌いた。その肉は大人達に奪われ、焼かれ、胃の中だ。

気まぐれのように、大人は骨についた筋張った肉……軟骨と、その近くの少しの肉と言われるものを俺の方に放った。砂がついていたが、俺は構わずそれを貪った。それを見て大人達はゲラゲラ笑って。しかし生きるためには必要なことだというのは分かっていたし、この上ない空腹に苛まれていたから。俺はそれを繰り返した。

繰り返して繰り返して。それだけを何度も繰り返して。何のためかも知らず繰り返して。周りの大人たちと目線が近くなった頃俺は、初めて人を殺した。

その時になって初めて知ったよ。売られた先か山賊ということを。

山道を行く商人達を、俺は、道の真ん中に立って通れなくして。

ピュイと鳴った口笛が聞こえて、先頭の一人の首に小太刀を突き刺して、凪いで、次のやつは首にできなかった。刀を持っていたから。だからそいつは足の筋を切って転ばせた。大人たちは、そばにいたけど見ているだけだった。俺の頭には、切ることと、殴られたくないということしかなくて。切って、切って、切って切って切って切って。動かなくなるまで切って。

一人二人逃げられたけれど、素晴らしいことに一番油の乗った若い男だけは腰を抜かしていて、荷車に隠れるように体を丸めていて。

俺はこいつを見つけて、どう思ったと思う。


美味しそう、だ。


脂身というのは、頭をとろけさせる。処理をきちんと行えば生臭くなることもない。イノシシなんかはそれが顕著だった。

俺は、荷車から縄を探し出すと、腰を抜かした男の両足首を結び、手頃な木に吊るした。そこで隠れていた大人たちがざわめいたが、構わず作業を続けた。何事かを喚き続ける男の首を、真一文字に切り裂いた。

それから、大人たちは、荷車を漁り始めた。ギラギラと厭らしい光を放つ物を、もっと厭らしい顔をして大人たちは持って帰った。その間、俺は血抜きが終わるのをただただ待っていた。ポタリポタリと落ちる赤色が止まるのを待っていた。

大人たちの半分程が帰った頃、血抜きは終わった。小太刀を抜く俺に、大人の一人はおい、と声をかけた。それをどうするつもりだ、と。

俺は言った。

「これだけ大きければ、少しだけ肉をちょうだいな。お腹が減ったんだ」

その言葉に、大人は目を丸くした。何故そうするのか分からなくて、俺は、そのお願いは聞き入れられないのだと解釈し、でも切れ端くらいは貰えるかもしれない、と既に息絶えた小太りの商人の腹に、内臓を傷つけないように小刀を突き立て、ズズズ、と腹を開いた。

「やめろ!」

大人はそう叫んだ。俺は零れていく内臓に目じりが上がっていて。

俺は緩やかに狂っていた。今ならわかる。あの時は、何も分かっていなかった。

肉は肉。嫌いなのは殴られること。大人は絶対。高くなった目線でも、それ以外のことは見通せていなかった。

それから俺は、一番嫌っていた『大人からの暴力』を受けた。殴られて蹴られて。気狂いだ、鬼だ、餓鬼だ。そんな言葉を浴びせかけられながら。その時の俺は、それがなぜなのか、全く分かっていなかったのだが。

その次の日、俺は山の中腹にある洞窟に連れてこられた。訳が分からなくて、でも逆らうことも出来なくて。心臓がバクバクといっていたことを強く覚えている。

天然のその洞窟は、大人三人が横に並んで歩けるほど大きく、いくつか枝分かれしていて、ぐねりぐねりと蛇のような洞窟だった。

その最奥に、その人はいた。

換気をしていないせいか酒の匂いが強く、獣のような匂いがした。

「おい」

最奥にいた男は不躾にそう声をかけた。俺はその重く響く声に体を跳ねさせ、肩をすぼめながらかさつく唇を震わせた。

「おい、と言っている。耳が聞こえないのか?」

怖い。怖い怖い怖い。俺の頭の中はそれでいっぱいだった。これなら狼の群れに突っ込めと言われる方がどれだけ気が楽だろうか。最奥にいる男は、大人だ。大人は怖い。俺の頬を、腹を、とても嫌な音を発しながら殴る。目の前の男は、そんな大人たちの中でも一番強い声を持っていて、寒くなく、寧ろ熱いくらいの日和なのに俺はガチガチと奥歯を震わせていた。

「おい、小僧」

男の声は、空っぽの腹によく響いた。それが尚更怖くて怖くて。真っ白な頭で何故と考えたが、結局何も思い浮かばず、俺は只々小さくなった。

そんな俺にどう思ったのか、男は一つ嘆息し、もぞりと動いた。顔を上げられなかったからどういう顔をしているのかとんと分からなかったが、反射的に俺はまた殴られると考え、体を掻き抱きながら震える声で、

「やめて、殴らないで、やめて」

とだけ何度も繰り返した。

人を殺しても、食べようとしても、何も感じなかったのに、俺は自分だけが可愛くて、自分だけを守ろうと言葉を紡いだ。……滑稽だよな。あの時の俺は、親も兄弟もトモダチも、全部捨てても惨めに生きようとしていた。人ではなくなりかけていたのかもしれない。だけど、あの人はそうはさせてくれなかった。

「虚ろ、だな。否、そうさせていたのは俺か。そうかそうか」

かつかつと笑いながら、その人はぐいと俺の長い前髪を掴み、前を向かせた。その時、パチンと何かがはじける音が聞こえた気がした。俺と同じくらい長い髪の毛の隙間から、かがり火の反射でその人の瞳が、薄く、鮮やかに煌めいた。

「くろ、じゃない……?」

それだけ。たったそれだけで何かが壊れた。懐かしさから来るものなのかもしれない。だけど、何を考えているか分からない黒ではないことが、俺にとって何よりも心を動かした。

しかしその人は、一つ瞬きをすると濃い色の瞳に戻っていた。

でも、黒ではない。濃いけれど黒じゃない。光の差し込む加減で出来た一瞬の輝きが、俺に何かを取り戻させた。それはとても小さな欠片だったが、それでも、人である何かを取り戻した。感情と言う、欠片を。

その人は……剛さんは、にたりと笑って俺の何かを「いい色だ」と言い、満足げに頷いた。

「空虚から来る恐怖なんて安っぽい。奈落の底まで何もないなら大した恐怖だが、お前には恐怖と言う物で詰まっている。それじゃあ怖くない。だから俺はお前に物を詰め込む。共感しつつの恐怖は何物にも勝る。同じものを持っているのに違うことは恐怖だ。理解できるからこそ怖い。近いからこそ怖い」

そうさせてやるよ、赤い鬼の子。
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