2013-6-22 18:21
シャリンシャリンと音がする。
その音に呼応するように俺は意識を掬い上げられた。部屋は薄暗く、行燈からは魚油の独特の香りが部屋を覆う。
いつの間に眠っていたのだろうか。いくら探索で疲れていたとはいえ、明によってぐるぐる巻きに縛られた状態で眠れるほど豪胆ではないし、忍びとしての心得を捨ててはいない。となると、何かによって眠らされたのだろうか。確か、押し込まれていた部屋には、甘い香りがした。胸を刺すように甘く、それでいて穏やかな香り。それに眠らせる効能があったのだろう。
そこで俺は、しゅるしゅると布擦れの音が部屋の中を行き来していることに気が付く。体を転がせるように反転させ、部屋の様子を見やるとそこは異様な雰囲気を持っていた。
宿木は、どこに持っていたのか、長く赤い布紐を部屋の隅々に行き渡るように張り巡らせていた。布紐には手のひらに収まるほどの銀色の鈴が、均等な間隔を持って取り付けられ、シャリンシャリンと軽やかな音を立てる。
「何を、しているんだ?」
作業をしている宿木に尋ねかけた。
俺はグルグルに縛り付けられたままで、動くことは適わず、視線だけで部屋の中を見渡す。
宿木、暮麻、明に梟まで。旅での仲間全員が顔に赤く薄い布を額から下げ、部屋の隅に鎮座している。この状況では、俺の方が異様な存在に思える。
くるりと踵を返した宿木の顔布がふわりと舞い、口元だけが見えた。
「ちょっとした儀式、みたいなものです」
宿木は微かに笑っていた。しかし、口元しか見えないというものは、こうも不安にさせるものだろうか。
「儀式……?」
俺は不信感を隠さずに尋ねた。儀式と言うものは別に特別なことではない。しかし、それをするのは祈祷師であったり、僧侶であったり。少なくとも、文字書きと名乗った人間がするようなものではなかった。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、宿木は困ったような声でこういった。
「店長……真座さんのことですね、その方ならこんな面倒で珍妙なことをしなくても、言葉や態度や、触れ合いによってどうにかすることが出来るんですが……それじゃあ遅いんですよね」
「遅い……?」
「いつまでもこの宿で休んでいる訳にはいかないんですよ。指定された日時に間に合わなくなってしまいますし。だからと言って強行突破することも叶いません。このままではしのぶさんの胃に穴が開いてしまいます」
「しのぶの!?」
思わず声を張り上げると、ダンッと床を突く音がした。反射的に其方へ顔を向けると、暮麻が刀を畳に打ち立てていた。
「この男は……っ!」
「姉御!抑えて!」
「こいつは!しのぶにあんなことをしたのに!それなのに!」
「待って!姉御!気持ちは分からなくもないけど!てか、いい加減にしろよ月丸さん!」
今にも斬りかかってきそうな暮麻を、明は必死に宥める。宥めると言っても、羽交い絞めにしているから物理的なものだが。しかし、俺にはさっぱり分からなかった。なぜ暮麻がこんなに憤っているのか。なぜ明までも怒りを露わにしているのかも。
混乱しているところに、六三四と五四六は互いに囁き合うように言った。
「え、月丸分かってなかったの?」
「この状況に混乱しているせいか?」
「じゃなくて、根本的なこと」
「……分かってい無さそうだよな」
二人は顔を見合わせると、示し合わせたようにはぁ、とため息をついた。
「…………」
心から、意味が分からない。
なぜこいつらは俺の方が異様なような目で此方を見ているのだろうか。思い当たるふしがあるというなら、廊下での明の言葉だろう。明は俺に『怒っている』と言った。今現状で明らかに怒っているのは、明と暮麻。そこから何か分からないだろうか。
明が怒るというなら、梟のためだろう。明は、見て取れる程梟に懐き、人目をはばからず求愛に勤しんでいる。だが、俺は梟に対して何かをした覚えはない。それに、暮麻まで怒るというのは、何か違う気がする。
ここの面々に共通していて、それでいてこんな珍妙な儀式まで承諾する理由。
それは……
「しのぶの、ためか?」
半ば呆然としたままそう呟いた。
六三四と五四六はしのぶを妹のように可愛がっているし、梟も友人として仲がいい。明と暮麻も、知り合ってから短いがしのぶを気に入っているようだった。
そこまで思いついて、やっと腑に落ちた。
体調がおもんばしくないしのぶのためだったのだ。
「「「「「「不合格」」」」」」
「……は?」
しみじみと思いふけっているところに、一糸乱れない声が何重にも響いた。
室内の人間は、顔布の上からでも分かるくらい失望や落胆の色が滲んでいた。
「ごめん、月丸。流石にその程度はないよ〜。鋭いのは肉体戦だけなの〜?」
「怒りを通り越して呆れが回ってきた……」
「姉御、そのまま武力行使しないでいてね。まあ、鈍い方が俺は楽だとか思っていた自分を殴りたい」
「あ、じゃあ俺が殴る?」
「やめておけ、六三四。それより月丸さんの頭をどうにかした方が……」
「ちょ、お前ら、いったい……」
「はいはい、皆さん。儀式始めますよー。鈴が鳴り止むまで座っていてくださいねー」
宿木がそう言うと、皆ははーいと口々に言いながら最初の位置に戻っていった。チラリチラリと此方に落胆の目を向けながら。
「……俺、何か間違えているのか?」
そう呟くやいなや、シャリンと部屋の鈴が、風もないのにいっせいに鳴り始めた。