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空木が咲く前に 二十八

気が付いたら、私は闇の中にいた。否、完全な闇ではないから、暗がりと言った方が正しいのか。
ぼんやりと薄明かりがちらほらとある中、比較的暗い場所に私はいて。そこはとても冷たく身体を刺し、光に引き寄せられる羽虫のように私は明かりに近づいた。
一つ目の光。青竹色の光。お姉さんの光だ。分からないけど、私は核心していた。
人を寄せ付けないような色をしているのに、近づくとほんのりと温かい。光にまとわりつく様に浮かぶ銀色の鱗粉は、お姉さんの気高さを感じさせる。
光にそっと手を伸ばし、確認するように触れてみると、パッと弾けて光は鏡のように変形した。
「おねえ、さん?」
鏡に映ったのは、私を覗き込むようなお姉さんの顔。手には白粉の入った磁器の容器があって、手のひらに伸ばしたそれをゆっくりと塗りつけてくる。
優しい手のひらを思い出して、思わず顔が綻んだ。
『これは魔法のように感じるかも知れないが、特別な事ではないぞ、しのぶ。そう在ろうとすることが、一つの奇跡で、性根が悪ければ魔法なんて意味のない事だ。しのぶはしのぶで在れ。背筋をほんの少し伸ばす事で、見える景色はがらんと変わる』
これは、お姉さんが魔法をかけてくれた時に言われた言葉だ。
ああ、そうだ。お姉さんはこんな風に言ってくれたんだった。
旅の道中でも、お姉さんは休憩の度に気を使ってくれた。でも、私は足元ばかり見ていて、言葉に気が付かなかった。そればかりか、お姉さんが教えてくれた信条も忘れていて。身勝手なこと、しちゃっていた。
僅かに滲んだ涙は、お姉さんには見せられない。袖で涙を拭い、スッと背筋を伸ばす。
「ありがとう、お姉さん。ごめんね。私、ちゃんと前を向くよ」
鏡に向かってそう宣言すると、鏡の中のお姉さんは優しく笑い、鏡はシャリン……と鈴みたいな音をたてて霧散した。
それに対して、私は悲しみはなかった。お姉さんの温もりは、確かに感じる。見えなくなったのは、ただの鏡であって、お姉さんではない。
それから、お兄さんの光、明さんの、梟さんの、みんなの光を辿っていった。それが、この場所から出る為のものだとどこか確信していた。
そう、これは……
「私の、夢なんだね」
この不思議な空間は、幻術でもなんでもない。私の心に記憶された者を辿る道筋なのだ。そして私は理解する。ここ最近、私らしさというものが欠落していたことを。ジメジメと鬱陶しくなっていたのは、今までの私らしくはないし、それは成長でもない。ただの堕落だ。向き合うことを恐れ、内面に閉じこもり、空回りしていただけだ。
ああ、なんて無意味なことをしていたんだろう。隣人と、そして自分自身から目を背けて。自分だけが辛いようなフリをして。みんな戦っているんだ。自分が守りたいものの為に。一歩踏み出す勇気を持って、挑み続けているんだ。誰もが、辛いことや、悲しい事を抱えて生きているんだ。
そして私は辿り着いた。最後の光に。
この光には色はなかった。明かりもない。ただ、ここには光があると感じるだけの空間。
「月丸……」
今なら感じられる。この光がどれだけ大切で、どれだけ愛おしいものなのかを。
「もう私、逃げないよ」
そう呟くと、光は呼応するかのように、輝きを増し、私を包み込んだ。
優しく、それ故に切ない感情が、私の胸の中に溶け込んでいった。

愛の話を一つ。

「いったいなんなんだ貴様は!」
 隣の部屋から響いた声に、僕は、おや、と顔を上げた。
 その部屋には月丸くんとくれまちゃんという珍しい取り合わせで、将棋を打っていた筈なのだが。
 おやおや、と閉じた扇子を口に当てながらそっと障子を開くと、盤を挟んで両者はにらみ合っていた。
「負けて喚くとは、些か無様じゃないか」
 ふふん、とどこか得意気に腕を組む月丸くん。普段よく睨まれているせいか、小さくだが反撃が出来て御満悦のようだ。
「っ……無様なのは認めよう。だが、その先見の知と思慮の深さ、なぜ普段に使わないのだ」
 彼女にしては珍しく憤慨し、更に珍しく相互を崩している。
 その姿に、僕は更におやおやと息を飲んだ。
 彼女を言い表すなら、男に対しては徹底的な鉄壁と冷徹。その筈の彼女がこうやってサシで顔を合わせている事さえ珍しいのに。
「使っているだろう?」
 月丸くんはとんと覚えがないのか、くれまちゃんの言葉が不思議でならないような顔をしていた。それは真実彼にとって、理解の範疇を越えているのだろう。特に色恋において。
「貴様は普段昼行灯……いや、それ以外なのに、左構えからの陣形に、飛車角に拘らない手。奇抜とも言えるが深い読み。なぜそこまで読みが深い」
「暮麻、今さらっと失礼な事を言わなかったか」
「事実だ」
「……即答か」
 くれまちゃんの刃に物を着せぬ物言いに、月丸くんはがっくりと肩を落とした。
 まあ、賛否両論あるかもしれないが、僕も基本的にはくれまちゃんの考えには賛同している。月丸くんは、もっと周囲に対して気を巡らせるべきだと思う。しかし、こうやって見ている分、彼の周囲に対する鈍さというのは即ち周囲以外の鋭さに思えてならない。実は、何度か彼の仕事を覗き見したことがある。仕事に対する彼は、鉄壁で冷徹で……まるで、くれまちゃんみたいだった。
 そう。二人は変なところで似ている。刀を交えれば互角に斬り合うだろうし、将棋も同じ目線で議論している。サシ方さえ違えれど、相手の話についていけないことがない。ただ、二人は目線を共有している事に気が付かないだけだ。今はそう。だけど、いつかは互いに認め合って、味方なら背を預けられて、敵なら賞賛を込めて全力で向かうだろう。
 だけど、
「くっれまちゃーん!一緒にお茶飲もうよー!」
「うわ!店主!?」
 戦友を得ることは喜ばしいことだけど、まだ、もう少しだけ、僕の隣にいて。
 それは、ただの狡くてみっともなくて、ただただ愚かな僕の我が儘なのだけれど。
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お知らせ 6月22日

空木が咲く前にの更新再開しました。
亀更新ですが、お付き合い頂けると嬉しいです。

あと、旅の終わり頃に移転&加筆修正します。

空木が咲く前に 二十七

 シャリンシャリンと音がする。
 その音に呼応するように俺は意識を掬い上げられた。部屋は薄暗く、行燈からは魚油の独特の香りが部屋を覆う。
 いつの間に眠っていたのだろうか。いくら探索で疲れていたとはいえ、明によってぐるぐる巻きに縛られた状態で眠れるほど豪胆ではないし、忍びとしての心得を捨ててはいない。となると、何かによって眠らされたのだろうか。確か、押し込まれていた部屋には、甘い香りがした。胸を刺すように甘く、それでいて穏やかな香り。それに眠らせる効能があったのだろう。
 そこで俺は、しゅるしゅると布擦れの音が部屋の中を行き来していることに気が付く。体を転がせるように反転させ、部屋の様子を見やるとそこは異様な雰囲気を持っていた。
 宿木は、どこに持っていたのか、長く赤い布紐を部屋の隅々に行き渡るように張り巡らせていた。布紐には手のひらに収まるほどの銀色の鈴が、均等な間隔を持って取り付けられ、シャリンシャリンと軽やかな音を立てる。
「何を、しているんだ?」
 作業をしている宿木に尋ねかけた。
 俺はグルグルに縛り付けられたままで、動くことは適わず、視線だけで部屋の中を見渡す。
 宿木、暮麻、明に梟まで。旅での仲間全員が顔に赤く薄い布を額から下げ、部屋の隅に鎮座している。この状況では、俺の方が異様な存在に思える。
 くるりと踵を返した宿木の顔布がふわりと舞い、口元だけが見えた。
「ちょっとした儀式、みたいなものです」
 宿木は微かに笑っていた。しかし、口元しか見えないというものは、こうも不安にさせるものだろうか。
「儀式……?」
 俺は不信感を隠さずに尋ねた。儀式と言うものは別に特別なことではない。しかし、それをするのは祈祷師であったり、僧侶であったり。少なくとも、文字書きと名乗った人間がするようなものではなかった。
 そんな俺の心情を知ってか知らずか、宿木は困ったような声でこういった。
「店長……真座さんのことですね、その方ならこんな面倒で珍妙なことをしなくても、言葉や態度や、触れ合いによってどうにかすることが出来るんですが……それじゃあ遅いんですよね」
「遅い……?」
「いつまでもこの宿で休んでいる訳にはいかないんですよ。指定された日時に間に合わなくなってしまいますし。だからと言って強行突破することも叶いません。このままではしのぶさんの胃に穴が開いてしまいます」
「しのぶの!?」
 思わず声を張り上げると、ダンッと床を突く音がした。反射的に其方へ顔を向けると、暮麻が刀を畳に打ち立てていた。
「この男は……っ!」
「姉御!抑えて!」
「こいつは!しのぶにあんなことをしたのに!それなのに!」
「待って!姉御!気持ちは分からなくもないけど!てか、いい加減にしろよ月丸さん!」
 今にも斬りかかってきそうな暮麻を、明は必死に宥める。宥めると言っても、羽交い絞めにしているから物理的なものだが。しかし、俺にはさっぱり分からなかった。なぜ暮麻がこんなに憤っているのか。なぜ明までも怒りを露わにしているのかも。
 混乱しているところに、六三四と五四六は互いに囁き合うように言った。
「え、月丸分かってなかったの?」
「この状況に混乱しているせいか?」
「じゃなくて、根本的なこと」
「……分かってい無さそうだよな」
 二人は顔を見合わせると、示し合わせたようにはぁ、とため息をついた。
「…………」
 心から、意味が分からない。
 なぜこいつらは俺の方が異様なような目で此方を見ているのだろうか。思い当たるふしがあるというなら、廊下での明の言葉だろう。明は俺に『怒っている』と言った。今現状で明らかに怒っているのは、明と暮麻。そこから何か分からないだろうか。
 明が怒るというなら、梟のためだろう。明は、見て取れる程梟に懐き、人目をはばからず求愛に勤しんでいる。だが、俺は梟に対して何かをした覚えはない。それに、暮麻まで怒るというのは、何か違う気がする。
 ここの面々に共通していて、それでいてこんな珍妙な儀式まで承諾する理由。
 それは……
「しのぶの、ためか?」
 半ば呆然としたままそう呟いた。
 六三四と五四六はしのぶを妹のように可愛がっているし、梟も友人として仲がいい。明と暮麻も、知り合ってから短いがしのぶを気に入っているようだった。
 そこまで思いついて、やっと腑に落ちた。
 体調がおもんばしくないしのぶのためだったのだ。
「「「「「「不合格」」」」」」
「……は?」
 しみじみと思いふけっているところに、一糸乱れない声が何重にも響いた。
 室内の人間は、顔布の上からでも分かるくらい失望や落胆の色が滲んでいた。
「ごめん、月丸。流石にその程度はないよ〜。鋭いのは肉体戦だけなの〜?」
「怒りを通り越して呆れが回ってきた……」
「姉御、そのまま武力行使しないでいてね。まあ、鈍い方が俺は楽だとか思っていた自分を殴りたい」
「あ、じゃあ俺が殴る?」
「やめておけ、六三四。それより月丸さんの頭をどうにかした方が……」
「ちょ、お前ら、いったい……」
「はいはい、皆さん。儀式始めますよー。鈴が鳴り止むまで座っていてくださいねー」
 宿木がそう言うと、皆ははーいと口々に言いながら最初の位置に戻っていった。チラリチラリと此方に落胆の目を向けながら。
「……俺、何か間違えているのか?」
 そう呟くやいなや、シャリンと部屋の鈴が、風もないのにいっせいに鳴り始めた。
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