風邪で寝込んでいたらいちが、ようやくカリカリを食べられるようになったそうだ。
八日遅れのお誕生会をやったとチィ姉(笑)。お医者さんでチックンしなくても元気になって本当に良かった。
私の方は絶不調。毎日、悲しみに支配され負けそうだ。今まで明るく頑張っていたのになあ。イーサンと別れようか考え出して重症(笑)。
拍手ありがとうございました!
>>まきたんさん
「チックン」可愛いでしょ(笑)
チィ姉はらいちに赤ちゃん言葉で話しているのです( ´艸`)
TBSチャンネル2で放送された『決定版!蒲田行進曲』を観た。
いやいや、子どもの頃に観た印象とはいろいろ違っていたり、見方が変わって思うことがたくさんあり過ぎる。
沖雅也さん演じる銀四郎は落ち目になりかけているスターで、大部屋俳優のヤス(柄本明)に慕われている。そして、銀四郎の女の小夏(大原麗子)がいるが、ある日赤ちゃんが出来たと銀四郎に告げる。が、銀四郎は俳優のキャリアを気にしてスキャンダルはまずいと、ヤスに小夏と結婚して子どもの父親になってくれと頼み込む。
ヤスは悩みながら小夏を受け入れ結婚。しばらくして銀四郎が小夏の元に現れ「やっぱりやり直そう」と優柔不断なことをいう。小夏は銀四郎に思いを寄せ続けてきたが、ヤスと結婚した手前、銀四郎のもとへ戻ることはできなかった。
銀四郎は新撰組の階段落ちのシーンをヤスに死ぬかもしれないがやってくれと頼む。銀四郎はヤスが死んだら小夏を取り戻せると思ったのだ。本番の夜、小夏はヤスの無事を祈る。ついに小夏が銀四郎の子どもを出産する。・・・・ざっとこんなストーリー。不思議な絆の三角関係のお話。
昔の雑誌によると、このドラマに出演する前、つかこうへい版『忠臣蔵』が制作されることになり、主演を沖様がすることになっていたそうだ。その稽古中、沖様は昏睡状態で倒れ、胆石で入院し出演が叶わなかった。その時期は沖様は体調が悪いピークの頃で、長年患っていた鬱病の他にノイローゼ・メニエール病・不整脈などで苦しんでいた。
その頃かどうか忘れたけどテレビのワイドショーで、カメラを病室に入れ「シャワーを浴びようとしたら胸がきゅっともってかれる感じでね…」と語っている。それは多分、不整脈の時のものだと思うが、ベッドでの沖様はしっかりドーランを塗るのを忘れなかった。ちなみにリポーターは鬼沢さんだった。今じゃ考えられない映像だったですな。
『蒲田行進曲』の話に戻る。このドラマの前に深作欣二監督の映画が大ヒットしていたが、これとは別の描かれ方だった。風間杜夫さんが演じる銀ちゃんは破天荒でおちゃらけていたが、沖様の銀ちゃんは沖様ご自身が真面目で真っ直ぐな方だったため、銀ちゃんになりきれてなかった。笑うシーンなのに笑えない(笑)。つかさんの独特の演出と長回しで、沖様の声が枯れ、汗だくでお芝居していた。
私の親友は演劇をかじっていて、昔は劇団に入りたがり、私と劇団を見て回ったりしたことがある。つかさんのところには二度お邪魔しているが、台詞の独特さに圧倒された。つかこうへいさんは演劇界では神様みたいな存在でファンはつか信者≠ニ言われるくらい熱狂的。晩年の沖様もつか信者だった。
沖雅也さん31歳にして、俳優としてのキャリアは16年。それまでは自己流でアドリブも自由にやらせてもらっていた。それだけにつかさんのお芝居は彼にとって新鮮であり魅力的でもあり、難しいものだったのだろう。
つかさんに認められたくて精一杯頑張るものの、上手くいかず罵倒された。泣きながら叱られたそうだ。沖様は鬱病が治りかけていたのに罵倒された。つかさんは鬱病の人にいちばんしてはいけないことをした。
沖様が亡くなったホテルはつか≠フ名前で泊まっていた。尊敬するつかさんの名前、そして自分の芝居を否定した人。このことから、どうして飛び降りたかわかる気がする。
沖様の銀ちゃんは風間杜夫さんに負けたかもしれないが、柄本明さんを引き立てるような脚本だったのも災いしている。しかしながら、沖雅也さんの最期のお芝居はスコッチやキャプテンを見慣れた人間にはとても新鮮だったのも事実である。
たくさんの拍手ありがとうございました!
>> 魚座B型女・ 1979年生まれさん
そんなに読んでくださって、ありがとうございます。嬉しいです(*^^*)
魚座B型女・ 1979年生まれさんが生まれた年は俺天が放送された記念すべき年ですね。
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