このところ日中は比較的暖かかったけれど、また寒さが戻ってきそう。会津地方の只見町では二メートル以上の雪に参っているみたいだが、福島も本当に広いね。冬だけ温暖な浜通りで暮らしたいと昨日、友達が言っていた。
除染作業は四月まで中断し、それまで除染作業員はソーラーパネルを設置する仕事に切り替わった。
今日は
小野田寛郎さん死去のニュースでもちきりだった。小野田さんは東白川郡塙町で小野田自然塾を運営していて、私の身内も大変お世話になっていた。子どもたちを自然の中で過ごさせて、自然のなかで力をあわせて知恵を絞り助け合うことを教えていらっしゃった。
彼のそうした活動には日本に帰還してから、ブラジルで農場を始めて、日本からのニュースで両親を金属バットで殺す少年の事件に衝撃を受け、子どもたちに豊かな心になって欲しいと私財を注ぎ込み設立させた経緯がある。
以前、ブログかエッセイに書いたと思うけど、父とホームセンターで買い物中に小野田さんに会っている。父は小野田さんを追いかけるようにレジに並び、話しかけていた。私は小野田さんとわからず、後であの人は誰ですか?と尋ねたら「元日本兵の小野田さんだ。お前が生まれた頃帰国したあの人だ」と言うのである。うわーあの小野田さんかとビックリした。
塙町まで車で三十分ぐらいなので、小野田さんは白河まで買い物に来ていたようだ。父は握手してもらい、しばらく農機具の話をして盛り上がったらしい(笑)。
父が亡くなって一年後か二年後だったか、我が家の近くのイオンでまた小野田さんと遭遇した。すれ違う人が頭を下げ、小野田さんも笑顔で同じように頭を下げていた。気取らずいつも笑顔の人だったように思う。
福島ローカル番組で、戦争が終わったのをラジオで知り、いつまで経っても上官から引き上げる知らせが来なくて、終いには表に出にくくなってしまって二十九年間隠れていたと語っていた映像が思い出される。しかもフィリピンの村人からいろいろお世話になっていたそうで面白いエピソードばっかりだった(笑)。終戦を知らなかったというのは間違いらしいですぞ、マスメディアの皆さん。
福島にたくさんの勇気を与えてくださっていた小野田さん。彼こそ、ラストサムライだ。
ご冥福をお祈りいたします。
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